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 サーリプッタ尊者、四つの決意  ディーパンカーラ・サヤレー 

 みなさん、今晩は。 今日は最終日で、明日はシンガポールに戻らなくてはなりません。私たちに善いカルマがあれば、また来年会うことができるでしょう。来年まで待てないという方は今年でもミャンマーの方へいらしてください。

日常生活におけるダンマの実践

 今日は、日々の生活で、どのようにダンマの瞑想をするかということをテーマに話したいと思います。今まで、アーナーパーナサティと慈悲の瞑想と四界分別観ということについて、お話しました。これらは毎日する瞑想の方法です。

 昨日の法話会では毎日10分間は瞑想しましょうという約束をしました。しかし10分間という時間では、集中力を養うには不十分で、本当は1時間くらい瞑想したほうがいいのです。それが無理な人は10分間でもやってみてください。

 日々の生活でいろいろな人と一緒に仕事したり、行動したりしていますが、その時に、自分の心に気をつける必要があります。気を付けていないと、すぐ心というのは不善な思いに捉われてしまいます。それに関して、サーリプッタ尊者とその過去世に関することを今晩お話したいと思います。

サーリプッタ尊者が王様だったとき

 いつの過去世だかは分かりませんが、サーリプッタ尊者には、自分の善い心をずっと保ち続けることができる力がありました。阿羅漢になる前の話ですが、過去世においてサーリプッタ尊者はバラナシ国の王様でありました。そして、その宰相、今でいう首相をしていたのが、ブッダの前世である菩薩でありました。

 王様にはお妃がいて、彼女をとても愛していたので、何でも好きなものがあったら言うように彼女に話していました。

 その当時王様には沢山のお妃がいたわけですが、お妃は、何でも願いを聞いてくれるというので、「私の願いというのは、他の女性を愛することをしないで、私だけに信頼を寄せてください。私だけと結婚するようにしてください」と言いました。
皆さんにもそういう経験はあるのではないですか?

 王様も最初は、ちょっと無理な願いなので断っていましたが、妃が何度も何度もそれを言うので、ついに約束をしました。王様はその約束を良く守り、女王にたいへん誠意を持って対応しました。

 そのとき、国中に強盗がたいへんはびこり、多くの村で物を取っていく事態が起きたので、王様はそこへ兵隊を遣わして、自ら強盗たちと戦うことになりました。

 王様も強盗退治の先頭に立って戦わなくてはならないということで、村に行くことになったのですが、女王には王宮に居るように命じました。女王も一緒について行きたい気持ちはあったのですが、王様は、王宮に居るようにと話しました。

 王宮があるところからその強盗がいる村までは、32ユジャナ(由旬)ありました。1ユジャナは11マイルです。1マイルは1.6kmですから、1ユジャナは17kmあるいは18kmあったということですね。その当時は車があるわけではないし、トラックとかの輸送手段があるわけではないので、兵隊達と歩いていかざるを得ません。

 女王も、王宮に残るということを承諾し、それでは1ユジャナごとに兵隊を寄越して、王様の状態を報告してくれるように頼みました。それほど王様のことを心配していたわけです。王様もそれを承諾して、1ユジャナごとに兵隊を遣わせ、どういう状態であるかを報告させました。

 その女王は、後の生でいつも仏陀を非難するようになる、そんな女性でありました。兵隊が来ていろいろ報告するのですが、その時に、そういう女王ですから、戒のうち第3番目である、「性的な不道徳をしない」を破ってしまう行ないをしました。32ユジャナの距離でしたから、32人の兵隊が来る度に性的に不道徳な行ないしていたというわけです。

 王様は村へ行って強盗退治をしましたが、その帰りにもやはり1ユジャナごとに兵隊を送って、女王に報告をさせました。やはりこの帰ってくる兵隊とも女王は問題を起こしていました。

 それで、仏陀の前世である菩薩がそこの宰相をやっていたわけですが、王様は明日着くので、迎える準備するようにと菩薩に申し渡しました。

 菩薩は、女王のところへ行って、明日王様が帰ってくると報告しに行きました。そのときに女王はその宰相である菩薩とも過ちを起こそうと思いました。菩薩は女王に対して、「どうぞそのようなことを仰らないようにしてください。私は戒律をしっかり守っているわけですから、どうぞそのようには仰らないでください」と言いました。

 それを聞いて、女王は菩薩に対してとても腹を立てました。
「帰ってきた兵隊の64人は自分の言うことを聞いたのに、お前だけが自分の言うことを聞かない」と言いました。さらに女王は、「明日、王様が帰ってきたら、お前の命はない」と脅しました。女王は、病気の振りをして部屋で寝ていて、帰ってきた王様には会いませんでした。

 王様は帰ってきて、女王の姿が見えないので、「女王はどうしたのか」と尋ねました。召使は王様に、「女王は非常に感情的に昂ぶっていて病気になり、部屋にいらっしゃいます」と王様に伝えました。

 それを聞いて、王様はとても心配して女王の部屋へ行き、どうしたのかと尋ねました。女王は、「あの宰相はとても悪い宰相で、私と問題を起こそうとしました。そのために私は非常に怒っているのです。それで病気になってしまいました」と、王様に話しました。

 王様はそれを聞いて、大変に怒り、他の大臣を呼んで、宰相を殺すように命じました。王様は、それが事実かどうかということを確かめもせず、女王の話を聞いただけでそう決めました。

 死刑執行人は菩薩を墓のところに連れて行って、切ろうとしました。そのときに菩薩は、王様が何も知らないでこういうことをしている、ということが分かったので、「ちょっと待ってくれ」と言い、「王様と話がしたいから、話をしてから、その後で殺してくれ」と言いました。

 菩薩である宰相が、王宮へ戻って王様に会うと、王様は非常に怒っていて、「お前は戒律を破ったではないか」と責めました。菩薩は王様に、「生まれてからこの方、私は五戒をずっと守り続けて、破ったことはありません」と話しました。「女王は私にいろいろ要求しましたが、私はそれに答えなかったために、女王が怒ってしまったのです」と話しました。

「もし、王様がそれを信じられなければ、遣わした64人の兵隊たちに問い質してください。その兵隊達は女王と問題を起こしているわけだから、本来ならばその兵隊達をも罰しなければならないはずです」と話しました。

 王様は64人の兵隊達を呼んで、いろいろ問い質してみると、問題があることが分かってきて、女王に聞いてみたのですが、女王はそれに答えることができません。それで王様は真実を知るようになりました。

 真実を知った王様は、64人の兵隊と女王に大変腹を立て、彼らすべてを殺すよう命じました。宰相は、「問題は兵隊達にあるのではなく、その兵隊達をそそのかした女王にあるわけだから、兵隊達を殺すのをお止めになってください。兵隊達が謝っているのを受け入れてください」と頼みました。

 また、「どうか、女王を殺さないで下さい」と頼みました。なぜなら、女王も欲望と執着のために様々な問題を起こしてしまったのだから、許して下さるよう懇請しました。王はそれを聞き入れ、女王と兵隊に王宮を出て、国へ帰るよう命じました。現代においても、このような夫婦の問題はありますね。

 王は、嫉妬と物惜しみの心が問題を起こすと深く反省しました。一般的に夫というものは、妻は自分が所有するものだから離したくないと思います。この話は、釈尊が現れる前に起きた話です。王様は、自からが阿羅漢になるまでは、決して嫉妬と物惜しみの心を出すまいと決意しました。その結果、サーリプッタ尊者は、その王様としての生からサーリプッタ尊者となるまでの長い輪廻の期間、決して嫉妬と物惜しみの心を出すことはありませんでした。それが、尊者が持っていた心の力の一つです。

酒飲みの王様

 また別の前世では、やはりバラナシ国の王で、その生では、酒飲みで常にお酒ばかり飲んでいました。そして、とても肉が好物で食事毎に食べていました。その時、かの国には「満月の日(ウポーサタ)には、どんな生き物も殺してはならない」という法律がありました。そのため、料理人はウポーサタの前日になると、次の日の分まで肉を蓄えていました。

 あるウポーサタの前日、忙しい料理人の目を盗んで、犬が肉を掠め去ってしまったため、ウポーサタの日に肉がなくなりました。そのため当日、料理人は菜食のメニューで調理しました。王は朝から酒浸りで泥酔しており、食事の際、テーブルに肉料理がないのを見て立腹し、一体どうしたことかと隣席に座っていた女王に文句を言いました。その時、女王は幼子を抱いていましたが、泥酔していた王は自分の息子かどうかも見分けがつかず、その幼子を取り上げた上にひねり殺し、料理人に調理するよう言いつけました。

 王を恐れていた料理人は、殺された王子を調理して、食膳に出しました。王はそれを腹いっぱい食べてから寝てしまいました。翌朝、目覚めた王様は、女王に王子の所在を尋ねました。彼女は、王が殺して食べてしまった顛末を話し、二度とこの話はしないよう懇願しました。王は非常にショックを受けてうろたえ、よく物事が見えていなかった自己の無知が原因で今回の悲劇が起こったと深く反省し、自分は阿羅漢になるまで決して飲酒をしないと決意しました。

 これが、二番目の話です。皆さんの中にはお酒を飲む人もいるかもしれませんが(笑)、飲酒して酔っ払っている時は、両親が忠告してくれても全く耳に入らないかもしれません。物事がハッキリと見えない無知の心はとても危険です。なぜなら私たちが死の直前に、このように物事がハッキリと見えず、正確な判断ができない心の状態であると、地獄などの低い世界に転生してしまう危険が生じるからです。ですから、五戒をしっかり守ることは重要です。

 アメリカに行くと多くの人が、ビールなどのお酒を断つことは、とても難しいと言います。その場合は、前月よりも酒量を半分にしてみるなど、お酒の摂取量を意識して少しずつ減らしていくようにアドバイスしています。そのように、自分をコントロールしてみてください。健康面から言っても、飲酒は良くないですから。

王子の死

 第三の話は、やはりサーリプッタ尊者が王様であった時、大変に溺愛している一人息子がいました。王は息子の願いは何でも叶えてやりました。あるとき、一人の占い師が、王子は喉の渇きが満たされず、水分不足で死んでしまうと予言しました。そのため、王は領国内の全ての村に井戸を掘らせ、王子が国内のどこへ行こうとも、飲み水に困ることが無いようにしました。

 ある日、とある村に王子が出かけた際、一人の独覚仏陀(パッチェカ・ブッダ)が村内を托鉢していました。村人達は、その独覚仏陀に礼拝し、供物を捧げていました。自分のことを王の次に礼拝されて尊敬を受けるべき存在とみなしていた王子は、村人や従者全員が自分を顧みず、独覚仏陀に礼拝するのを見て、大変に立腹しました。独覚仏陀に激しい怒りを覚えた王子は、彼が手に持っていた鉢を地面に叩き落し、散らばった供物を踏みつけて、「何も食べるな」と罵りました。

 王子がそんな風にするのを、独覚仏陀(パッチェカ・ブッダ)は前で見ていて、「この王子は、非常に悪いカルマを今積んでいるから、将来において苦しみを受けるだろう」と見て可哀想に思いました。慈悲の心を持って見ていたのですが、その時王子は「何故ジロジロと私を見るのか」と怒鳴りました。

 王子は独覚仏陀に、「私の父親は王であり、その王子なのだから何を言われても怒ってはならない」と言いました。王子は大変にプライドが高かったのです。それで独覚仏陀は超能力を使って、空を飛んでヒマラヤにあるマハーナンダ洞窟へ行きました。

 独覚仏陀がヒマラヤに行った後、しばらくして王子の身体は火を噴いたように熱くなり、水分は抜け喉がカラカラに乾きました。それで水を飲みたいと思ったのですが、すべての井戸が干上がっていました。自分のした行いの結果が直ぐに現れたということです。その後大地が割れ、その中へと落ちていきました。王子に起こった炎が地の中に王子もろとも吸い込まれ、地獄へ落ちて行きました。それはまるで地震のため地割れがして落ちて行ったかのようでした。

  ですから知らないでいると、とても危険な事になるということです。なぜなら王子は、独覚仏陀(パッチェカ・ブッダ)というのはどういう存在であるかということを知らなかったのです。独覚仏陀は大変に良い人であるということは分かっていましたが、自らにエゴというものがあってそれが妨げとなっていました。地獄に落ちた王子は、その後仏陀の時代にデーバダッタとして生まれました。

 王は、そんな風に王子が亡くなったというのを知って心を揺さぶられて苦しみを味わいました。王はとても王子を愛していたので、事前に準備して災いが起こらない様にとしたのですが、結局王子のカルマによって死んでしまうという事になりました。それで王はまた自分の心を省みて、王子を非常に愛していた為に、後で苦しみを味わうようになったと思いました。

 そして、これから阿羅漢になるまでは決して誰かを愛することはすまいと決心しました。それから阿羅漢になるまで、サーリプッタ尊者が、色々な生において独身であったのは、こういう理由によるものです。

愛することの苦

 私達は、人を愛する事によって、時には苦痛を受ける事があります。ですから自分の中にある愛というものを、はっきりと知る方が良いのです。それが苦しみの原因となっていることが分かれば段々と減らして行くことができます。

 私達はある日、愛する家族と別れなくてはならないという事を知っています。そういう事は必ず私たちに起こる事、誰にでも起こる真実の事です。ですから、それは自然なことであるという風にいつも心の中を省みている必要があります。

 そういう風にいつも思っていれば、ある時とても親しい、愛する家族と別れることがあっても、それほど心の苦しみを味わわないですむということがあります。こんな風に反省して、いつも心の中を見ているということがないと、いつか家族と別れなければならない事が起こり、あるいはとても愛している相棒である、夫とか妻とかをなくした時に、大変なパニックになって、心が苦しみを受け、気が狂ってしまうといった事になります。

 どうでしょう、それが真実ではないでしょうか。皆さんどうですか。私達はいずれ別れなくてはならない時もあるわけです。明日また私も帰ってしまいます。日本に来る時に私は、皆さんに慈悲を広めていこう、平和の心を広めていこうと思って来ました。それでこの日本に来て、皆が集まって瞑想しダンマの話を聴いてたいへん良いカルマを積んでいる事を、とても嬉しく思いました。

 そのようにして戒律を守って、ダンマの勉強をしているということは大変に良い事で、私はとても嬉しく思っています。勿論私の一番の望みは、皆さんが悟りを開くことです。たったの5日とか6日とかの期間しかないのですが、そのように願っています。結局来ても、6日とか7日とかの後にはまた帰っていかなくてはなりません。

 ですから私達は最初からどういう風になるという事を準備しておかなくてはなりません。サヤレーに「まだ行かないで下さい」とか「二月まででも長く留まって貰って、悟りを得る為に修行したい」と言っても、結局私は行かなくてはならないわけです。皆さんには皆さんのカルマというものがあります。そうではないでしょうか。  

 私が思っていることは、皆さんが「サヤレーに従って2ヶ月位修行したい」と言っても一緒にする時間がありません。私達は別れなくてはならないわけです。長く一緒に修行したいけれども行かなくてはならないのです。

 また同じように、ある時死ななければならないのですから、死んだ後に一体どこに行くのかを決めて準備しておかなくてはなりません。これが三番目のお話で、王様は大変に息子を愛していた為に苦しみを味わうようになった。つまり、執着がある為に苦しみが起こってきたということを考えて、阿羅漢になるまで執着はもたないと、サーリプッタ尊者は思いました。サーリプッタ尊者の過去世において決意した訳です。また四番目があります。

 第四の話ですが、サーリプッタ尊者は過去世において森で瞑想をしていました。森の中で、慈悲の瞑想を禅定に至るまで7年間修行していました。慈悲の瞑想をしていた為に、死んだ後に梵天の世界に生まれ変わりました。そして梵天の世界での寿命が尽きた後に人間界に降りてきました。

 人間界に降りてきても、彼はどんな怒りも持つ事がありませんでした。何故かといえば、慈悲の瞑想をしていたためにずっと怒りを持つことがなかったわけです。

 慈悲の心(メッタ)、その力というものは、怒りを止めることが出来ます。それで私が皆さんに薦めるのは、慈悲の瞑想を毎日やっていれば、怒りを少なくして、抑える事が出来るようになるからです。慈悲の瞑想をし、慈悲の心があると、誰かに対して憎しみの心を持つ事がなくなります。

 ですからサーリープッダ尊者は、そういう風に決意してから阿羅漢になるまでの間に、敵というものを持ちませんでした。どうでしょう。それは良い事でしょうか。

 敵がいないという事はとても良い事でしょう。敵がいると怒りだとか、大変に不善な心が起こってきて、とても悪いカルマを積んでしまいます。ですから私達は、良い思い、良い意志、良い事をするという意志を持つ事が大事です。そういうものを持っていれば、いろいろな人にあった時に良い思いが出てくるわけです。

 ですからパーリ語でチェータナ(意志)と言いますが、良い意志を持つようになれば、私達の接するすべてものがとても美しくなってきます。心が汚れている時、私達が接するものはすべて汚れたものになり、とても美しい絵を見ても、汚いものに見えてしまいます。

 ですから家に帰ったら、自分が死ぬまでの間慈悲の修行をするよう心がけるようにして下さい。そして慈悲の修行をし、他の人たちに良い意志を持って接するようにして下さい。未来というのは誰にも分からないものですから、例えば次の年に私は死んでしまうかもしれないのです。

 今日お話したこと、これは皆さんへの新年の贈り物です。どうぞ皆さん自分の健康には気をつけて下さい。皆さん、ここに集まって、こうして一緒に瞑想し、修行してくれてありがとうございます。とても嬉しく思っています。

 サードゥ! サードゥ! サードゥ!
   




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