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 四界分別観  ディーパンカーラ・サヤレー    
 
四界分別観

 本日参加してくださいました、お坊様方そして瞑想修行者の方々に感謝いたします。ここに皆さまが集まってくださいまして、こういう会ができるということは大変素晴らしいことだと思います。
 今日は、4エレメンツメディテーション(四界分別)という地水火風についての瞑想について説明いたします。先に40の瞑想があるという話をしましたけれど、その中の一つに四界分別観という瞑想法があります。四界分別観では近行定(初禅に近い状態)のところまで行くことができます。四界分別観の目的は二つありまして、一つには集中力を養う目的があり、もう一つはヴィパッサナーの基礎になっています。ヴィパッサナー瞑想をやる人は、誰もがこの四界分別観をやらなければいけません。

 お釈迦様は、ナーマ(精神的現象)とルーパ(物質的現象)について説明していて、ルーパについては28のルーパがあると仰っています。その28の中には四つの要素が含まれています。その四つの要素は何かということを理解する必要があります。それは地・水・火・風の四つです。

 地の要素の中にはさらに6つの性格があります。その6つは、重いグループと軽いグループの2つのグループに分けることが出来ます。
 重いグループというのは、固さ(hardness)、粗さ(roughness)、重さ(heaviness)です。
 軽いグループというのは、柔らかさ(softness)、滑らかさ(smoothness)、軽さ(lightness)です。

 お互いのグループはちょうど正反対になっています。自分の体を見たとき、重い方の要素がはっきりしているときは、軽い方の要素ははっきりしていません。この2つのグループを合わせて地の要素です。
 水の要素には、流性(flowing)と、結合性(cohesion)があります。
 火の要素には、熱さ(hot)と冷たさ(cold)があります。
 風の要素には、押す力(pushing)と支える力(supporting)があります。

 これが、全部で12の性質になります。私達は、その12の性質について1つ1つ体の中で見ていく必要があります。いちばん最初に、風の要素について取り上げてみます。なぜならば、風の要素というのは簡単にしかもはっきりと体の中に捉えられる要素だからです。入ってくる呼吸に集中し、入ってくるのをずっと追っていると、押している力がずっと入って来ます。出る方にはあまり意識を集中せずに、入ってくる方に集中するようにします。

 頭のてっぺんの中央に集中します。頭のてっぺんの辺りに意識を集中していると、そこが振動していることが感じられます。頭のてっぺんを中心に振動しているというのを感じられるようになったら、それを頭のてっぺんからだんだん頭全体に広げていくようにします。

 そのようにして、振動している感覚を首から上全体に感じるようにします。首から胸、足まで全体に感じられるようにします。そうすると、体全体に振動を感じられるようになります。体の内部の臓器に集中してみると、臓器の振動も感じられるようになる人もいます。四界分別の瞑想をしている対象は、感覚を観ていくということです。頭から足までそのような振動を観ていきます。そういうふうにして風の押す力を観た後は、熱さの感覚を観るとか、そういうふうに1つ1つ観ていきます。

 固さを感じるときは、口の中から感じていき、それをだんだん体全体に広げていきます。
 粗さについては、舌を歯の裏側につけてみて、そのザラザラした感覚を観ていきます。そのザラザラした感じを体の表面で感じていって、体全体にそういう感覚を広げていきます。
 重さについては、手を膝の上に置いて、体重をゆっくりかけていき、上半身の重さを感じるようにします。そういうふうにして、重いという感覚を感じたら、「重い、重い」とその感覚を体全体に広げるようにします。

 柔らかさについては、上の歯で下唇を噛んでみると、とても柔らいのを感じます。その柔らかさを顔全体に広げていって、その感覚を味わっていきます。その柔らかさを感じるには、リラックスしないといけません。
 滑らかさについては、口の中で唾液とともに舌を動かしていると、非常に滑らかな感じが分かると思いますけれど、その感じをだんだん広げていきます。
 そんなふうにして、最初は口とか顔から始めて、それを全体に広げていきます。あるときは、自分の体の中の臓器についても、柔らかいとか滑らかだとかを感じられると思います。

 軽さについては、指を上にはねるようにします。なぜ、このように指が動くかというと軽いという感覚があるからです。それで、指に感じている軽さをだんだん腕とか上半身に広げていき、体全体に広げていきます。
 支える要素については、瞑想をしていて、眠くなってくると体が揺れてくると思います。眠くなって、体がだんだん前のめりになって、床に着くかなと思うときに、パッと元に戻ったりする、それが支える要素です。眠かったりするときは、気付きの力が弱くなっているので支える要素が抜けているのですが、気付きによって支える力を呼び戻し、元に戻るわけです。

 熱さと冷たさについては、このように掌に触れてみると、暖かさを感じます。そんなふうにして、暖かい感じを腕から体全体に広げていきます。ここで感じるのが難しければ、胃の方で感じてください。食べたものを消化するときに熱を使っています。消化するときの暖かさを体全体に広げていきます。
 寒さあるいは涼しさについては、空気を吸うときにヒヤッとする感覚を感じていきます。先ほどは、空気を吸うときに押す力を観たのですが、今度は涼しいヒヤッとする感覚を観て、それを全体に広げていきます。
この瞑想では禅定に近いところまで行きます。

 もう一つは水の要素の中にある、つなげているという結合性の要素ですけど、この時は、ぐっと腕を握り締めるような感じで、ぐっと縛っているという感覚ですね。縛ってくっつき合っているという感覚を体全体に広げていきます。瞑想をしていて、重さとか固さと荒さを体で感じるとき、体が縛られているというような不快な感覚が生じています。

 それから、もう一つは流れているという要素で汗とか涙とかを体全体で感じるのです。頭のてっぺんから足のつま先まで、いろいろな感覚について上から下まで観ていきます。慣れてきたら、12の性質について、例えば、地の要素、水の要素について一つ一つを観ていくのですが、非常に速く、一つ観たら次のものという感じで、どんどん観ていくのです。それで、だんだん集中力が良くなってくると、頭についての感覚だとか腕についての感覚だとか、ただ感覚だけが生じているということだけが観えてきます。

色が見えてくる

 いろいろな要素のバランスがよくなければなりません。集中の訓練にとっては要素をバランスさせることが大事です。要素がバランスしていないときというのは、一つのものしか選んでいないかもしれません。一つの要素しか選んでいない時には、要素がバランスしていないために、体の痛みとなって表れます。
 一つの要素しか選んでいない時に、例えば風の要素だけを選んで“押す力、押す力”と観ていると、一つだけなので痛みとなって表れます。それゆえに、それぞれの性質についてバランスさせるよう、一つ一つをすばやく観ていく必要があります。いろいろな要素のバランスがとれている場合は、幸せな感覚が得られ、安定した感覚になります。

 それから、色についてです。体の中のいろいろな要素を観ていくと、ある種の色が見えてきます。月だとか太陽だとかという感じで色が現れてきます。初めのうちは、色が現れても、その生じた色に対して集中してはいけません。現れた光や色に気を集中してしまうと、すぐに消えてしまうのです。
 色とかが見えても気にしないで、感覚の方に集中し続けます。見えてきた光や色がだんだん白っぽくなってきます。そうすると、白くなって輝いてきた光が、その色を見ていくと、からだのなかの要素とミックスした感じになります。そのようにして、地水火風の要素をみて、感覚を見ていくと光が生じて光そのものが水や氷の塊のように見えてきます。ダイヤモンドだとかクリスタルみたいな輝きになってきます。

 そんな風にして見えていた光が安定的になってきたら、今までは、感覚を見てきたのですが、今度は、集中の対象を光のニミッタの方に移していきます。1時間もニミッタを見ていられるようになったら、禅定に入ったということになります。まだ、初禅ではないのですけど、それに近い禅定(近行定)になります。

ウ”ィパッサナー瞑想

 こういうような禅定が得られた時にウ”ィパッサナー瞑想をやります。これは洞察瞑想とも呼ばれます。ウ”ィパッサナーをすることは大変、重要なことです。人により異なった、波羅蜜を持っています。ある人は、三十二の身体の部分を観た後にその波羅蜜によって、禅定の近く(近行定)まで行けるでしょう。また、このような集中が得られない人もいます。そのような人には“白いカシナ”の瞑想をして第一禅定まで行くことができます。

 三十二の体の部分を観る瞑想(三十二身分)において、どのように体の部分を見ていくかといいますと、クリスタルのように輝く光によって、体の部分を照らしていきます。髪の毛を見るとか、三十二の部分を一つ一つ見て行きます。その三十二身分を終えて、さらに高い四つの禅定の修行をすることもできます。

 三十二身分のなかで骸骨への瞑想を使います(白骨観)。骸骨に1時間、2時間と集中することができると第一禅定にいたることができます。白い骸骨を「白い、白い」と見ていくことにより、禅定に入ることができます。そんな風に白い色が全体に広がった後に、一つの特定の場所を選んで集中することにより第一禅定から、第四禅定まで至ることができます。

 第四禅定まで行けば、心はとても大きな力を得ます。そしてこの体に集中します。今、眼耳鼻舌身の五つの門が体と一緒になっています。例えば、眼だけに集中します。私たちがヴィパッサナーをするときに、小さな粒子が生じ、滅しているのを見て、無常・苦・無我を洞察します。この微粒子(ルーパ・カラーパ)を見ることができなければ無常・苦・無我を洞察することは難しいでしょう。

 体における感覚を見る人もいます。感覚も生じ、滅していきます。しかし、感覚だけだと深いヴィパッサナーに至ることはできません。深いヴィパッサナーにおいては、どのようにして粒子について観ていくか。四界分別のように、眼に集中します。一つのエネルギーについて、すばやく観ていると、たくさんの粒子が動き回リ、生じ、滅しているのを観ることができます。
 例えば太陽が出たとき、細かい塵がきらきらと動き回っているのを見たことがあるでしょう。同じようなものです。それは眼についてであって、耳についても生じ、滅しているのを観ます。鼻・舌・身についても同じです。そして集中力を使ってもう一度眼の中の一つの粒子に集中します。 

 粒子の中にもいろいろあって、あるものはとても輝いているし、あるものはぼんやりしている。そしてこの粒子の中に何があるかを観察します。その中に八つの性質を観てとることができます。その八つというのは、さっき言いました地水火風の四つの要素と色、香り、味、栄養素です。その八つの性質が、一つの粒子の中に含まれています。それらが、我々の中で一番微細な物質の基礎になっているものです。 

 そういう粒子の中の性質があるのは、それらにエネルギーがあるということです。例えば、眼の中の粒子を見ていくときに、ある粒子を見たときに色がはっきり見えるし、ある粒子には香りが見えるし、それぞれの粒子は性質が違うということですね。御釈迦様は、それぞれの性格に関して詳細に述べているようですけれども。

 今は、科学が進んでこのようなことは、科学の方で解明されてきています。アメリカで高名な物理学の教授がリトリートに参加をした時に、ルーパ(物質的な現象)についてサヤレーとディスカッションをしました。科学者が言うには、物質を極限的に見ていって、アトムがあって、さらにアトムを見ていくと陽子と中性子あるいは電子があって、さらにそれらがもう一つ小さい粒子でできていてと、どんどん見ていくわけです。そういう話は、昔、仏教で言っていたルーパ・カラーパと言って微細な粒子の話とよく似ているといっていました。

 仏陀の教えとよく似ているとことが現代の科学の話の中でもでてきます。粒子の中で、あるものについては色が鮮明であることが分かるし、あるものについては香りであることが分かります。物理学者の先生は、驚かれていました。お釈迦様が教えてこられてきたことと物理学で分かって来たことを比べてみて、なんと仏陀の教えが力強いのかということに気がついたからです。

 その次の年に、その教授は、ミャンマーへ修行をしに来ました。その先生は、微細な粒子がどのように観えるのかということを実際に知りたかったからです。科学で非常に微細な粒子のための研究に、何十億とかお金をかけている、要するに電子とかそういうものの観察にですね、瞑想ではお金はいりませんよ(笑)。瞑想をすれば中に入っていて観ることができます。そういう風にして、集中力を高めて観ると、色々なことが観えてくるので仏陀の教えは有益です。仏陀の教えは今の科学よりも深いところへいっています。

 仏陀が教えているのは、ただ単にカラーパだけではなく、微細な粒子だけではなくて、カラーパにどれだけのタイプがあるのか、というところまで観ています。微細な粒子に関して、四つの原因を言っています。その中の一つが、業(カルマ)です。二つ目が、心が作っている物質ですね。三つ目は時節が作っています。四つ目は、栄養素が作っています。

 粒子についてですが、どれが業によってできているのか、どれが心によってできているのか、どれが時節なのか、栄養素なのかチェックをしていきます。科学者(物理学者)にはそこまでわかりません。業について見ていくと、三つのタイプの微粒子があります。それぞれについて10の性質を持っています。どれが10かというと、今まで既に説明をしてきた八つがあります。覚えていますか?

 八つの性質とは何であるか分かりますか。今日は、話が難しいのですが、集中力をよくして、思い出して下さい。まず四つの要素、地水火風ですね、それから色、香り、味、栄養素。ここで八つの性質ですね。それにもう一つは、命を支える要素「命根」(ジヴィティンドゥリヤ)といわれるもの。もう一つは依止色(ウパダ・ルーパ)と言って、眼耳鼻舌身のなかにあるもの。例えば眼の瞳孔のなかにあります。白目の部分に見つけるのはなかなか難しく、真ん中の黒目のところにある、そういうカラーパの要素があります。目の真ん中のカラーパがだめになると目が見えなくなってしまいます。

 業(カルマ)には三つのタイプの粒子がある。一つ目は心基、二つ目は男性であるか女性であるか、これも10の性質に入っている。もう一つは身体そのもの。体がその粒子を作り出している。これらの三つのタイプの粒子(カラーパ)はカルマの下に在る。それぞれ10ずつの性質があるので全部で30のタイプのカラーパの性質がある。
 心が作っているルーパ・カラパという粒子は八つの性質を持っている。時節がルーパ、カラーパを作り出している。それもやはり八つの性質を持っている。その八つとは何でしたでしょうか。

 もう一つの栄養素のルーパ・カラーパも八つの性質を持っている。カルマは3つのタイプの粒子(ルーパ・カラーパ)があって、時節、心、栄養素。30と24で54になる。それで全部合わせて54のタイプのルーパ・カラーパが肉体の中にはある。それで、そのようにして、お釈迦様は非常に深い詳細な真理について教えてくださいました。科学者でもそこまではなかなか解明することはできていません。そういうのを見るには非常に強い集中力がないと難しいのです。

 ブッダがおっしゃったのは、ヴィパッサナーをやるためには、このようにしてルーパ・カラパについて微細に見なくてはならないということです。ヴィパッサナーをやるというのは、ただ単に感覚を観るだけではなくて、ルーパ・カラパを観るようにしなければならない。こういうふうに観ていくことによって、心というのは非常に鮮明にはっきりと観ることができるようになってくる。それは眼も耳、鼻、舌、体全体、すべて同じようなものです。

 身体だけではなくて内部の器官(臓器)を観ても、微細な粒子が生じて滅していることを観ることができます。それでそういうふうにして智慧の目でルーパ・カラパを観ていくと、ここに頭とかいうものがあるということではなく、単にルーパ・カラパが生滅していることが観えてくる。我々の肉体とか心とかが在るのではなくて、すべてルーパ・カラパという自然の構成的なものが生じて滅しているということが観えてくる。

 そのようにして瞑想していくと、自分の内部だけでなく、外のもの、他の人も同じようにして観えてくる。外部のものもそういう風にして同じように観えてくる。そうすると、これが自分のものであるとかいうことが全然意味がなくなってしまって、単にルーパ・カラパが生じて滅しているだけであるということがはっきり観えてきます。

 物質の現象についてちょっと説明しただけですが、さらに精神性、心の現象についての非常に深い教えがある。科学者と話をした時も、科学は物質について非常に細かく研究するけれど、心についてはあまり研究していない、ということを言っていた。お釈迦様は心の問題についてもとてもパワーフルで、他人の心もコントロールできましたし、精神的な問題を抱えていた人について扱うことができました。

集中力をもって病気を治す

 例えば体がガンなどの病気になったとしても、その病気を集中力でもって治すことができます。第四禅定まで禅定を深めていくと、身体の部分についていろいろ観ることができ、自分の身体のどこがおかしいのかということをチェックすることができるようになる。たとえば心臓がどうも良くないというときは、心を心臓に集中させる。そうすると、ある人はあるイメージがわいてくる。イメージがぱっと出てくる。目の前にイメージが見えるのではなく、実際にたとえば心臓が悪いのであれば、心臓のところにイメージが見えてくる。

 二つのタイプの集中がある。心臓についてみていると、直接にそこに(中に)感じることができる人と、もうひとつのタイプの人は中に見るのではなくて、目の前にぱっとイメージとして出てきて現れる。どちらにしても、目の前に見えても、中に見えても、それはどちらでもよい。そうすると心臓なら心臓が悪いところに、黒いものが見えてくる、何かが起こっているのが見えてくる。例えば臓器に腫瘍ができているのが見えてくる。それで我々は腫瘍を治すことができる。

 四つの瞑想、四大要素の瞑想ですね、覚えていますか。火の要素、地水火風の感覚についてやった、熱の要素ですね。熱の要素について、その感覚を全部からだの中で集めて、それで、それを1つのスポットに、例えば、腫瘍で黒くなっている部分について、その熱を集中させて、心と、それからその熱というのを、そこの腫瘍について当てることによって、それを消し去ることができるのです。

 腫瘍に対して、1時間とか2時間とか集中して、その熱とか心をずっと集中させることによって、その腫瘍そのものが軟らかくなってくる。そうすると、軟らかくなってきたその腫瘍が、だんだん小さくなってくる。これは、だから実際に、実践的に、自分でやることができます。それで、さっきやってた四界分別ですね、その四つの、四大の瞑想によって、自分の中のいろいろな悪い病気というのをなくしていくことができます。私自身が非常に悪いカルマを持っているときは、なかなかそれを消すのは難しいですね。みなさんが良いカルマを持っていたら、それ位の内部の病気は治すことができます。

 それは肉体的な問題についてです。もうひとつは、心ですね、精神的な病、問題についてということですね。その場合は慈悲の瞑想ですね。慈しみと、それから、思いやりですね、悲の瞑想です。それと同時に強い集中的な心というのが必要です。

脳を損傷した人の話

 去年ミャンマーの瞑想センターへ、シンガポールから瞑想に来ていた一人の生徒がいました。彼女が交通事故にあったのです。足と、手と、それから頭の部分を損傷しました。ぶつけて、そこを損傷したので、3週間、病院のなかで、意識がありませんでした。みんな誰もが彼女は死んでしまったというふうに思っていました。そして3週間後に足が少し動きました。それでお医者さんたちもびっくりして、治療をしっかりと施していって、それで段々々々と回復していきました。
 脳の方は損傷していたので、非常に重篤な感じであったということです。自分の両親とか友人とかが全然分からなかったし、自分自身がいったい何をしているのかということもよく分からない状態だったのです。病院で3ヶ月過ぎたとき、シンガポールのコミュニティの人たちがサヤレーを呼んだ。サヤレーはミャンマーで非常に忙しかったのだけども、一日シンガポールに行って、彼女に会いました。

 病院へ行って、非常にびっくりした。というのは、彼女は、自分の生徒であるにも関わらず、サヤレーのことが全然、分からなかったのです。というのは、彼女は瞑想をずいぶん一生懸命にやっていた人であったからですね。ジェシーという名前ですが、彼女の名前をずっと呼んでみた。呼んでみたけども、彼女の目はずっときょろきょろ動いているような感じで、反応がなかった。
 それで、サヤレーは目がそんな風に動いているので、じゃあ分かりましたということで、今、お経を読むからよく聞いてなさい、ということで読みはじめた。サヤレーは、患者の心の、ハートですね、心臓の部分に心を集中させて、お経を読んだ。そうすると、最初は目がこういうふうにきょろきょろきょろきょろと動いていたのだけども、お経を読んでいくに従って、真ん中のほうに目がだんだん落着いてきた。定まってきた。それで、彼女はじっとサヤレーのほうを見るようになってきた。それで、またずっとお経をずっと続けていくと、彼女は涙を流し始めた。

 それで、サヤレーは「今ね、お経を読んでいるから、一緒に読んでください」と言いました。しばらくすると、彼女の唇が段々動き出してきた。それで少しずつお経を読み始めた。それでみんな非常に驚いたのです。サヤレーも非常に驚いたけれど、とても幸せ、幸福であった。サヤレーのお経に、一緒にお経を読んで、非常に幸せな感じであった。
 それでお経を読んだ後で、彼女は「サヤレー」としゃべった。それで、サヤレーは「私の名前はただサヤレーというだけでなくて、その後にも何かあるでしょう」とそういうふうに言ったら、彼女は、「サヤレー・ディーパンカラ」と言った。それを聞いた周りのすべての両親、友達、学生たちは非常に喜んだ。サヤレーにとっても自分の今までの人生の中で一番幸福な日であった。その後も、彼女の頭ははっきりしている時もあり、あるときはまたぼんやりしたりという感じだった。

 次の日、ミャンマーに帰るので、もう一回病院を訪れたときには、彼女は腕を引っ張って、帰らないで、ずっと居て欲しいと言った。そして彼女は、一緒にミャンマーへ行って、一緒に瞑想したいと話した。それから、彼女はすべての忘れていたことを思い出してきた。それで、彼女は足なんかも悪かったのだけど、回復してきたら器具をつけたりして、今年ミャンマーに来て、3ヶ月のリトリートに参加しました。

 そして彼女は第四禅定まで非常に簡単に行くことができたのです。6年間ずっとそれまで修行していたけれど、ニミッタも顕れないし、禅定にも全然、達することができていなかった。今はところが、禅定も得ることができた。彼女は人生とは非常に危ないものである、危険がいっぱいであるということが分かって、それで一生懸命にやるようになった。そういう事故の経験をして、それが瞑想に非常にプラスになった。

人間は明日死ぬかも知れない

 だから、みなさんはそのような状況を経験したことがないから、まだあまり一生懸命に瞑想する気持ちにならないかも知れませんけど、もう本当に死ななくちゃならないという、そういう状況になると、もう一生懸命やろうという、そういうふうな気持ちになる。どうでしょうか。それが事実じゃないでしょうか。
 明日は死ぬかもしれないというそういう…。もし死ななきゃならないとしたら、どこへ行くかというのを分かっていますか?私たちがどこへ行くか分かっていますか?誰か次どこに行くか分かっている人は教えてください。

 天上というか、天国へ行けるという保証はあるでしょうか。天国へ行けるのか、それとも地獄へ行くのか。地獄のほうは、いろいろな苦しみというのが、非常に多くあります。ほとんどの人があまり地獄のほうに行きたいとは思いません。誰か地獄へ行きたいという人がいたら、手を挙げてみてください。もし、地獄の方へ行きたくないのなら、自分自身をチェックしてみてください。

 お釈迦様はカルマについて教えてくれました。昨日も説明しましたけれども、現在の生ですね、現在の人生というのが、来世にとって、非常に重要である。さあ、それで、今の自分をチェックしてみて、どれだけの欲とそれから怒りとそれから無知、その三つがあるかというのを、よく見てください。どれだけ怒りとか欲とかを自分で出したか、思い出して見てください。みなさん、数えられますか?どれだけの怒りや欲があったか。どうして数えられないでしょうか。非常に多いので、なかなか数えられないでしょう。

 どうでしょうか。それが事実ではないでしょうか。この人生とは言わないから、今年だけについてもちょっと思い出してみてください。八戒にしても守った日があったかどうか。どれだけ八戒について守った日があったか、ちょっと数えてみてください。数えられますか?どれぐらい瞑想のリトリートに行ったか。数えられますか?行ったことがないから数えられなかったりします。リトリートに行ったことがないから、数えられない。

 それで、みなさんは自分の心を見て、現在の自分というものをチェックしてみてください。欲と怒りと無知と不善と、そういう不善な行いなどが、悪いカルマを作っていきます。戒を守って、それから瞑想をするのが、非常に善い行いになります。善い行いというのは、数えてみても、なかなか数が少ない。不善なものと善いものとよく数えてみて、どちらのほうが多いでしょうか。
 お釈迦様がおっしゃっているのは、悪いカルマ、悪いものが多いと、地獄のほうへ行かなくちゃならない。良いカルマを積んでいる人は、上の方、天上界へ行くことができる。人に聞かなくとも、自分でチェックしてみれば分かるでしょう。明日どこへ行くかと自分でちょっとチェックしてみてください。

 明日は死んでしまうかも知れない。みなさんの未来というか、将来のことを思うとすごく心配になってきます。なぜかというと、悪いカルマも持っているでしょうから。もし、その悪いものがあるとしたら、それ以上の善きカルマを積むようにしてください。たとえ、その上の、天上界、天国へ行きたいと自分では思っていても、カルマが悪いと、自分で思っているだけでは行くことができない、ということですね。

 今日帰ったら、自分自身でチェックしてみて、善いカルマと悪いカルマとどういうふうになっているか。それで、ちょっとばかり悪いのがあったら、瞑想のリトリートに出るようにするとか、良いカルマを積むようにしてください。それから、戒を守るということがとても大事ですね。それらが、善き心、善きカルマを作っていくということになります。それで未来がすごく良い未来になっていきます。

これが皆様にたいする私の、ゴールデン・ウィークのプレゼントです。
サヤレーが話した、要するに、「人間は明日死ぬかも知れない」という、このことを忘れないようにしてください。

サードゥ・サードゥ・サードゥ




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