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この会を主催してくださった、ミャンマー仏教協会の人たちに、感謝の意を述べたいと思います。また、日本人の修行者たちも、ここで修行、瞑想の実践を熱心にしてくれて、ありがとうございます。こういう機会を作ってくださったことに対して感謝し、ダンマ・トークをしていきたいと思います。 性格と瞑想法 今日はですね、仏陀の教えの基本的なことをお話ししたいと思います。仏陀とダンマ・法ですね、それとサンガですね。この三つが基本です。仏陀は聖なる人で、ダンマ(法)というものを教えてくれた方です。それで瞑想とかダンマを教える初めに、仏陀に対して礼拝し尊敬の心を表します。次は、二番目はダンマですね、仏陀の教えてくれたダンマについてですけど、今、私たちは、瞑想ということで、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想という、二つの瞑想があります。 それからサンガですね、これは仲間というような元々の意味なのですけれども、お坊さんたちの集まりですね、仏陀の教えてくれた教えを伝えて、過去から今に、ずっと伝えてくださっている、そういうサンガがある。それで仏陀とダンマとサンガ、この三つが基本になっています。 それで今日はダンマについて、中心に話していきたいと思います。ダンマの中に、サマタ瞑想それからヴィパッサナー瞑想というのがあって、サマタ瞑想はその中にさらに40の瞑想法があるというふうに仏陀は教えてくださっています。 その40の瞑想法があるということについて、それは、いろいろな人によって性格が違うので、ブッダはその人その人によって、適した瞑想法というものを選んで、それで教えていたということです。 それで、いろいろな性格の人がいて、例えば、ブッダの時代にお坊さんとか尼さんとか、一般の人たちが集まって聞いていたときに、頭をぼりぼり掻いたりする人がいた。あるいは空を眺めて、そこに絵を描いてみたり、というようなことをする人がいた。また他の人は、ダンマ・トークをしているときに、居眠りをしていた。全然集中ができなかった。また別の人は、非常に熱心に聴いていて、瞑想などもしっかりやっていた。まあ、いろいろな人がいたということです。 最初にあちこち身体を掻いていた人は、おそらく過去世おいて、お猿さんだった。(笑) それから、空を眺めていろいろなことを描いていた人は、おそらく前世でインドの占星術師だった。星の運行なんかを見て、それで未来を予言したりする、そういうことをやっていた人で、それで空を見てなんかかんかやっていた。それから、居眠りをしていた人というのは、過去世は蛇をやっていた。あるいは龍ですね。いつも寝てばかりいた。(笑) それで非常に熱心にダンマ・トークを聴いて、瞑想していたという人は、やっぱり、その過去世ではお坊さんをやっていたという人でしょう。ですから、その人の性格とか、いろいろな振る舞いというのは、その前の過去世という、そこからのつながりで出て来ているということです。それで自分の中にその四つのタイプのどれを見るでしょうか。 人によって、いろいろな性格があるのですけれども、それは過去のカルマ、過去に為したいろいろな行いが、現在に結果として現れているということです。原因と結果がそういうふうになって、現在に現れているということです。それで過去において良い行いをした人は良い結果が得られるし、悪い行いをした人は、現在に悪い結果が返ってくる。それで私たちはそのカルマの法則について、それを信じていないと、不善な思いを越えていくのが難しくなります。 六つの性格と40の瞑想法 人によっていろいろな性格があるのですけども、大きく分けて六つの性格があります。今言っていたそういう性格というのは、普通の状態のもう一つ深いところにあるので、何かの拍子に、例えば非常に強い怒りが出てきたとか、というようなことで、もう一つ非常に深いところにあるものがそういう性格として出てきます。 その性格を分類してみます。最初は貪欲(ローバ)ですね、それから次が怒り (ドーサ) 、三つ目が無知(モーハ)、要するに貪瞋痴ですね。この三つがまず出てきました。 あとの三つですけれども、最初は信(サッダー)ですね、信じるということ、それから 思考(ヴィタッカ)、智慧(パンニャー)ですね。この三つとさっきの貪瞋痴とを合わせて6つの性格があります。 それで人によってその六つのうち、どれかにあたるので、仏陀がそれをよく見て、この人にはこういう瞑想法が良いだろう、ということを当てはめていました。六つの大きな分類で、大体、一つとか二つぐらいが、いろいろミックスされた形であって、主要にはどれが強いかということで、貪欲のタイプだとか、怒りのタイプだとかというように、一番強いのはどこに表れるかということで、分類していました。 それで、貪欲のタイプの人と、信を持っている人というのは、同じではないですけれども、割と近いところにいる性格です。それから二番目の怒りですね、このタイプと、智慧ですね、このタイプとは割と近いところにいます。最後の、無知のタイプと思考タイプの人とは、割と近いところにいる。ちょうど裏と表みたいな感じになるということですね。 最初の貪欲タイプの人は、ゆっくり、優雅に歩く。素敵な話をする。甘いものやおいしいものが好きであり、香りの良いものが好きである。それは貪欲のタイプの人の話でした。このタイプの人たちというのは、執着が非常に強いタイプです。それから信の強い人たちは、仏陀のお話を聴いたり、仏陀に対する尊敬とか、瞑想をしたり、あるいはお布施をしたりするのが非常に好きです。 それから2番目の怒りのタイプの人たちというのは、非常にせかせかと急いで歩いたりする。この人たちは、味については、非常に辛いものとか、酸っぱいもの、苦いものとか、非常に極端なものが好きである。で、この怒りのタイプの人は、嫉妬をしたり、非常に心をコントロールするのが難しくて、ガーッと怒って、それからケンカになったりとかというタイプです。 また、そのちょうど反対側にあるのが智慧のタイプの人です。この人たちは、怒りのタイプと条件的にはつながっています。智慧のタイプの人というのは、いろいろな現象がこれに合うだろうかと智慧で見て、話すときにも注意深く、何事にも気付きをしっかり持っている人です。 それから三番目の無知と思考のグループの人たちですけれども、この人たちは、自分でなかなか決定することができないので、どうも流されて、流れにまかせて気楽に生きるという、そんなふうなタイプの人たちです。で、この無知のタイプの人は、いつも頭がぼんやりしていて、眠気がして、迷妄のなかにいます。 それで貪欲系の人たちには、10の不浄観、不浄なものをずっと瞑想するのと、それプラス、三十二身分の瞑想、三十二の身体部分についてのいろいろな瞑想、これをやると良いというふうに仰いました。 目とか鼻とか耳とか、そういうところへいろいろな情報が入ってきて、そこで接触が起こったときに、感覚、感情、が発生するのですけども、そこのところで、執着というか、渇愛・欲望が起こります。そういう、貪欲とかが起こったときには、10の不浄観の瞑想をすると、執着というものから離れることができるわけです。 次の怒りのタイプの人には、まず四つの瞑想法があります。「慈・悲・喜・捨」の四つの瞑想法が良いでしょう。他に四つの瞑想があって、つまり合計で八つあるのですけど、カシーナと呼ばれる丸い円盤を観る瞑想です。その瞑想は、四色あって、白、黄色、赤、茶色です。 怒り型の人には、これら八つの瞑想法があります。怒りの気持ちが湧いてくるときは、六つの門、眼・耳・鼻・舌・身・意からいろいろな情報が入ってきます。怒りの気持ちが湧いてきたときは八つの瞑想をして、心に慈悲の波動を送ってあげます。 色の円盤による瞑想法ですが、怒りの強い人達には白い円盤を作って、空の雲みたいな瞑想をして、だんだん雲が広がっていくように心の中に広げていきます。この円盤を使っていく瞑想をしているとだんだん心が落ち着いていきます。この瞑想はたいへん簡単ですので、怒りのタイプの人はこれで心を切り替えることができます。その対象を変えていく必要があります。怒りばかりを出していると、怒りが続くから対象を変えていくことです。 無知と思考タイプの人には、アーナパーナサティがいいでしょう。信のタイプの人には、仏陀・法(ダンマ)・僧(サンガ)への随念がいいでしょう。お布施や寛容性の瞑想、それから戒の瞑想、デーヴァ(天界の神々)への瞑想がいいでしょう。信を持っている人達は、瞑想をすると深くそういうところに入っていけるのです。今の瞑想の説明は、智慧のタイプに対応した人に向いているのですが、胃の中の食べ物だとか、嫌悪するような汚い食べ物を、観るような瞑想をしましょう。だんだん、そういうものを観ていると慣れていきます。普通の人たちはきれいなものをみて楽しんでいるわけですが、この瞑想で仏陀は、不浄なものを観ていきなさいとおっしゃいました。 それから貪欲タイプの人向きの瞑想の一つですが、体を見る、骸骨を観る。これは普通の人から見ると、とても怖ろしげなというか、いやなものなのですけど、それを観ていくと、第一の禅定に至ることができます。 その胃の中を観る瞑想や涅槃の瞑想があります。ある段階の悟りに達すると、例えば、預流者だとか一来者のように悟った人は、それほど難しくなく涅槃の瞑想ができるのですが、一般の人だと涅槃と言われてもあまりピンとこないし難しいので、涅槃の平安をイメージすれば良いと思います。預流者の段階になれば、それほど時間をかけることなく涅槃の瞑想を実現することができます。イマジネーションをします。 もう一つは、四界分別観です。もう一つは、死に対する瞑想法です。智慧のタイプの人には、胃の中をみる瞑想と、涅槃の瞑想、四界分別観と、30のタイプの瞑想法をお話ししました。 30の瞑想法を覚えていますか。これらの瞑想法は重要です。40までの瞑想でまだ30までしか話していないので、まだまだですが、あとの10個というのは全ての人にあてはまる瞑想法なのです。さきほど、4つのカシーナについてお話ししました。今度のカシーナを使った瞑想は、円盤を使った瞑想で、地・水・火・風の4つの瞑想ですね。後の6つも同じカシーナ(円盤)を使用した瞑想なのですが、地、水、火、風、虚空、光明の6つです。後の4つが「慈・悲・喜・捨」の瞑想です。色界の禅定の上にさらに無色界の禅定があります。4つ無色界の禅定と、6つのカシーナの、つまり地・水・火・風、虚空、光と、あわせて10の瞑想があります。さきほどの30の瞑想法と今の10を合計して、合計で40の瞑想法があります。これは大変重要なことなので、アーナパーナサティでうまくいかなければ、他の瞑想法をやってみれば良いでしょう。 アーナパーナサティをしてもうまくいかなければ、波羅蜜のせいにしないでください。他の瞑想法もありますから。1年間くらいアーナパーナサティをしていてうまくいかなくても、心配をしないで、不浄観や死体をみる瞑想法もあります。それで預流者になることができます。みんな必ずどこかのタイプに入っていますから。 仏陀の時代であれば、あなたは何に向いているのかすぐに分かったと思いますが、今は仏陀がいらっしゃいませんので、これが向いているのではないかというアドバイスくらいはしたいと思います。自分でチェックをしてみて、怒りが強いタイプか、あるいはすぐに寝てしまうタイプか、タイプにあった瞑想法をしてみましょう。例えば、怒りの強いタイプの人には、「慈悲の瞑想」が良いと思います。 いままで、大まかな分け方をしましたが、あまり度々瞑想法を変えることはしないで下さい。5分おきに瞑想を変える、例えばアーナパーナサティをした後に、不浄観をしたり、ころころ変えるのは、あまりよろしくありません。2日とか3日とかしてみて、うまくいかなかったら変えてみても良いです。それぞれの瞑想をするときにそれぞれの瞑想についてしっかり知っておくことが必要になってきます。しっかり押さえてからでないと難しいということになります。40の瞑想法についてもっと知りたいですか? それならミヤンマーへ来て下さい。(笑) 質問 Q:ビルマでは、40種類の瞑想法を教えてくれる40人の先生がいるのですか? それとも、一人の先生が40種類の瞑想を教えてくれるのですか? A:ミャンマーにおいては、さまざまな瞑想のシステムがあり、システムによって教える瞑想も違います。例えばマハシーシステムについては、最初から40の瞑想法については教えないでしょう。パオの瞑想センターでは、アーナパーナ呼吸や四界分別について最初に教えてくれます。マハシでは、四界分別(地水火風)を基本にして教えています。他の瞑想センターでは、アーナパーナや不浄観を教えてくれます。パオセヤドーの瞑想センターでは、一通りアーナパーナが終わると40の瞑想法について教えてくれます。 まず、最初にアーナパーナをやって、その後に第四禅定で、四界分別やカシーナの瞑想などいろいろな瞑想をしていきます。最初から、アーナパーナをやらないで、四界分別から始めて、カシーナの瞑想をする人もいます。禅定がしっかりした後にヴィパッサナーをしたり、いろいろなことをやります。 業(カルマ)について ここまで大まかな瞑想法についてお話しをしていきました。瞑想をすることで、自分達の性格を少しずつ変えていくことができます。業(カルマ)を変えるのは、なかなか大変です。修行をして積んだ業(カルマ)は大変強いものです。過去において、どのような業(カルマ)を積んできたのかは、私達にはわかりません。過去のカルマはわからないですが、業(カルマ)の結果は現在において現れてきています。 過去において良い業(カルマ)を積んでいれば、現在において幸福になっています。過去において瞑想をしている人は、現在において瞑想をすると、すぐにニミッタが現れてきたりします。過去に積んでいた業(カルマ)のおかげで瞑想がスムーズにすすみます。過去の業(カルマ)の結果です。また、瞑想が難しいのは、あまり過去で瞑想をしていなかったからです。だからと言って、瞑想がなかなか進まないからといって嫉妬をしないで下さい。そういうふうに嫉妬をすることは、悪い業(カルマ)を積むことになります。 今自分がしている行いは、カルマを築いています。絵を描いているのと同じで、きちんと気づきをいれていれば、つまり丁寧に絵を描いていれば、良い業(カルマ)を積んでいることになります。きれいな絵を描きたいですか、それともその逆をしたいですか? きれいな心で良い業(カルマ)を築いて下さい。心というのが一番重要なのです。いつでも、心を浄化することを心がけなくてはなりません。心をきれいにして、そして、白い紙に絵を描くような感じです。心をきれいにすることが大事です。修行と言うと、1ヶ月間リトリートをしなければならないとか、そういうことではないのです。瞑想センターへ行く時間があればいいのですけど、日常生活がありますから、なかなかそこへ行くことはできません。しかし、そういう生活の中でもできることがあります。 毎日の修行で、朝早く起きて、目が覚めたら、どういうことを最初に思いますか。欲望だとか、仕事へ行ってお金を稼ごうだとか、テレビを見たりだとか、目を開けたときからいろいろな願望だとか欲望が湧いてきます。いろいろな欲望が起こってくる前に瞑想を始めなければいけません。台所へ行ってしまったら、瞑想はどこかへ行ってしまいます。 まず、最初に座って「慈悲の瞑想」をして下さい。5分とか10分くらいでいいです。さっき言った4つのことについて、「慈悲の瞑想」をやってみて下さい。心を柔軟にして、心を幸福にして、心と身体を快適にして、瞑想をして下さい。家族がいる人は、家族の人の顔をイメージして、一人一人について瞑想をして下さい。瞑想をすると心が慈悲で満たされます。 通勤でバスや電車で座っているときも、瞑想をすることができます。そういう修行をすることで、ダンマに対する理解が深まり瞑想が進んでいきます。毎日、毎日、継続してやることが必要です、1年後、何もやらないでここに来てもあまり意味がないのです。毎日、継続をして瞑想をしていればニミッタが現れるでしょう。毎日、毎日、いいカルマ(業)を作っていくことが大事です。 単に座って慈悲の瞑想をするだけではなくて、日々の日常の中で、人と会ったり、人と何かをするときに慈悲的なことを実践していくことが一つの修行です。座っているだけが瞑想ではなく、人に親切にしたり、心を観たり、相手の人を理解したり、許しを得たり、不正なことをされても許して争うことをしない、心を穏やかにすることです。あたかも、金を柔らかくして、いろんなものに加工するように、です。 心が堅いとどうすることもできません。一度、心を柔らかくしましょう。急に心を柔らかくするのはなかなか難しいので、日常的に継続的に行うことです。日常的に行っていれば、波羅密がだんだん熟してきて、そのうち、日常的な生活を離れて森林の僧院に行きたいという気持ちになります。日常の少しずつの瞑想が皆さんの心を支えるようになります。皆さんが、これからも瞑想をしてくれることを望みます。ありがとうございました。 サードゥ! サードゥ! サードゥ! |
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