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ルーパ・カラパ   ディーパンカラ・サヤレー (09.1.3)


 リトリートは今日で終わり、皆さんは家へ帰れて嬉しいでしょう(笑い)。今日は痛みや苦しみから解放される日です。とにかく、皆さんはこの1週間良いカルマを積んできました。 この1週間、皆さんは八戒を守ってこられたと思いますが、破っていませんね。

 この1週間、戒を守って瞑想、瞑想とずっとやって来たわけですが、たとえ禅定(ジャーナ)に入れなくても心配することはありません。一つの対象に心を集中し瞑想し続け、心が幸せを感じることが良いカルマを作ります。良いことをすると心が幸せになって、良いカルマを積むことができます。良いことをしても心が幸せでなく、苦を感じていれば良いカルマとは言えず、強いカルマにはなりません。

 皆さんはこれから家へ帰りますが、起きた時や寝る前に瞑想してもらいたいと思います。1時間瞑想するのが良いのですが、それができなければ30分、それもできなければ10分(笑い)瞑想をしてください。10分間で良いですから約束して下さい。約束できますか?

 起きたときに10分間、座っても、寝たままでも結構ですから瞑想してください。慈悲の瞑想でも結構です。自分に対して、あるいは知人に対して、生きとし生けるものに対して慈悲を送れば、それも瞑想になります。その意志が大事です。夜も寝る前にそういう瞑想をすると大変良い行いになります。電車やバスに乗っている時も呼吸に集中したり慈悲の瞑想に集中することができます。

 またもう一つの瞑想法というのは、電車やバスに人がたくさん乗っている時に、その人たちを「骸骨、骸骨」と見て行くものです(笑い)。もし皆さんに波羅蜜があって過去において骸骨瞑想(白骨観)をやったことがあるなら、周りの人を、「骸骨、骸骨」と見て行くと、骸骨のイメージがパッと出でくる人がいるかも知れません。そしてそれに集中することによって第一禅定まで達することができます。

 骸骨の瞑想をして、人々を骸骨と見ていると、人はそれを好みません。皆さん、他の人に自分が骸骨だと言われて気持ちが良いでしょうか。体の中をずっと見て行くと誰もが骸骨であり、それが真実なのですけれど、それを嫌がります。

 私たちが骸骨であることは事実ですし、いつか死ぬということも事実です。私たちはいつか死ななければなりません。それでブッダは、毎日寝る前に「ある日私たちは死ななくてはならない」と熟慮するよう勧めました。死んだ時は、死体になり、骸骨になるのです。亡くなって死体になってしまうと、死体は用がなくなり捨てられてしまいます。家族や親しい人々は、生きている間はその人と一緒にいたがっていましたが、いったん死体になってしまうと、一月でも一緒にいたいとは思わなくなってしまいます(笑い)。
どうですか、それが真実ではないでしょうか。
ですからあまり皆を信用してはいけません。自分自身の面倒は自分で見なくてはいけません。

 死ぬ前の瞬間の意識というのがとても大事で、死ぬ前にしっかり瞑想していて無常、苦、無我ということを瞑想するのが非常に大事なことです。そうではなく、周りの家族や親族に執着があって、皆と一緒にいたいという思いがあると、亡くなった後で幽霊、すなわち餓鬼の世界に転生するということが起きてしまいます。

 ブッダはいつも瞑想して、私たちのナーマとルーパすなわち心と体を観察するように説いています。そのことによって、悟りの第一段階である預流者(ソータパン)になることを勧めていますけれど、そこまでいかなくても、心と体、ナーマとルーパを観ることを続けていけば、次に悪所には生まれ変わらないようになります。

 自分たちの心と体について、ヴィパッサナー、すなわち観察の瞑想をしていると、執着を容易に切ることができるようになります。けれども、ヴィパッサナー瞑想をするのは難しいのでして、そのためには集中力が必要です。

 ですから今私たちはヴィパッサナー瞑想の前に集中力を養っています。それでヴィパッサナーをすれば、真実を貫いて観ることができるようになります。アーナパーナ・サティの瞑想をして、ニミッタが見えてくれば、そのニミッタが1時間とか、ずっと見え続けていると、容易に禅定(ジャーナ)に入ることができます。

 禅定(ジャーナ)を得て、最初にそのニミッタの光を使い、体に集中して、32の体の部分を観察するという瞑想をします。禅定で得た光で頭の辺りを照らします。そういうイメージをして、それを見ていると、心の中に、髪の毛が見えてきます。髪の毛を見ていても初めのうちははっきりしませんが、次第にはっきり見えてきます。

 はっきり見えてくると、(事実はあまり美しいものではないので)髪の毛に対してうんざりするようになる。で、髪の毛から始まって32の部分、皮膚、歯、心臓とか肝臓、内蔵という風に32の体の部分を見て行きます。血液とか汗とか、そういうものも見ていきます。

 皆さん、今体の内側に集中してみて、内臓が見えますか?
見えないのは、集中が十分ではないから見えないのであって、しっかりした集中力があれば、体の中も見えるようになります。それが最初の洞察の智慧です。

 仏陀がおっしゃったのは、最初に体そのものをはっきり見る、如実に見るというのが第一段階の洞察の智慧で、その次に体の器官を作っている物質が粉々になって、小さな微粒子の集まりであるのを見ることを教えています。ですから、体の32の部分を見る瞑想をしてから、その後に四界分別観、すなわち地水火風を観る瞑想するわけです。
以前に四界分別観については説明しましたけれど、覚えていますか?
参加者:はい、憶えています(笑)

 その話を聞いて大変うれしく思います。だいたいリトリートの最後の日には全て聞いたことを忘れてしまうからです。皆さん憶えているということなので、繰り返す必要もないかもしれませんが、体を観て、地水火風に分けて、それをずっと観て行くと、細かくなって、粉々になっていく、そういうことを体験します。

 その後に、自分の眼の中、眼球を観ていくと、例えば太陽の光が入ってきたときに塵がキラキラ見えますけれど、それと同じように眼の中に微細な粒子が見えてきます。

 その細かい粒子、物質の最小の粒子をルーパ・カラパと言います。それも2種類あって一つは透明なもの、もう一つは不透明なもの。眼球の黒目の部分は透明なルーパ・カラパでできていて、白目の部分は不透明なルーパ・カラパでできています。

 普通私たちが物を見るときに、対象から来る光を眼の黒目の部分で見ていますが、それはその中の透明なルーパ・カラパがあるから見える訳で、その透明なルーパ・カラパが壊れてしまうと見えなくなってしまう。失明してしまうということが起こります。

 眼の中にある微粒子、ルーパ・カラパを観てみると、そこには八つの要素があります。その八つのうちの四つは地水火風の要素で、それから色、香り、味、栄養素です。透明な微粒子、不透明な微粒子どちらも8つの性質があります。その両方の微粒子には八つの要素のほかに命根という要素と、透明な要素〔パサダ・ルーパ(浄色)〕というものがあります。このようにルーパ・カラパには八種類の要素があり、あるものはその他に二種類の要素をもっています。皆さん憶えられますか。

 眼球のなかを見ると、とてもたくさんのルーパ・カラパ(微粒子の集まり)がありますが、それは四つの原因から作られます。第一に黒目の部分の透明なルーパ・カラパは、ほとんどのものがカルマによって作られます。第二に不透明なルーパ・カラパは心が原因で作られるものもあります。三番目には熱(時節)によって作られるルーパ・カラパがあります。四番目は栄養素によって作られるルーパ・カラパがあり、食べ物によって作られるわけです。

 四つの原因でルーパ・カラパは作られているので、眼の中のルーパ・カラパを見た時に、どれがカルマによって、どれが心によって、どれが熱によって、どれが栄養素によって作られているか、それを1つ1つ見ることができます。
 もしルーパ・カラパそのものを見ることができなければ、ブッダが教えてくれた四つの原因を見ることは難しいでしょう。実際にルーパ・カラパをはっきり見ることができたとき、しかりと理解できるでしょう。

 もう少し詳しくお話ししましょう。カルマによってルーパ・カラパは作られますが、カルマによってできるのは三種類のルーパ・カラパです。一つはハダヤ・ルーパです。ハダヤとは心基と訳しますが心臓のところにある、心が宿っている場所と関係するルーパ・カラパです。二番目のルーパ・カラパは身体のルーパ・カラパです。三番目は男性あるいは女性というルーパ・カラパです。

 この三種類のルーパ・カラパはそれぞれ最初にお話した十種類の性質を含んでいます。これらを合計すると3掛ける10で30種のルーパがあります。つまりカルマによるルーパ・カラパは三種類で、その一つ一つは十種類の性質を持っている、ですから物質そのものは30の分類、30の性質があるということになります。

 意思によって心が動くとき、眼のなかのある種のルーパ・カラパが動くのが見えます。これが心によって作られるルーパ・カラパです。これは八つの性質を持っています。
 もう一つは熱(時節)が作り出すルーパ・カラパで、これも8つの性質があります。
食事をすると食べたものは胃の中に入りますが、今朝食べた食事を憶えていますか?
今朝は魚とご飯がありました。食事をして1時間ほど経ちましたが、食べたものはどうなったでしょうか。どこに行ったでしょうか?

 胃の中にありますが、それを見ることができますか(笑い)。イメージしてみてください。
胃の中の酸によって液状になり、熱によって消化が助けられています。胃の中で料理されているようなものです。1時間した後でどんな状態になっているでしょうか。料理されたお粥のようになっています。イメージできますか。食べる前の食べ物と食べた後の胃の中にある食べ物を連想してみて下さい。

 食べる前の食べ物が胃の中に入って行くとどんなふうになるかということを瞑想するようにと、仏陀は教えています。それが40種の瞑想のうちの“食厭観”(食べ物を厭う瞑想)です。
 このようにして食物を観察していくと、だんだん食べ物に対して執着がなくなってきます。そうするとレストランに行っても高いお金を払わなくても済みます(笑い)。そのように胃の中で火の要素である熱によって消化される訳ですが、それを地水火風の四大瞑想をすると、胃のなかで小さな粒子、ルーパ・カラパが生じてくるのが観えるようになります。

 それぞれのルーパ・カラパには八つの性質があります。一つは地水火風の四つの性質、それから色、食べ物にもいろいろな色がありますが、それに従いルーパ・カラパにも色がついています。
 また、香りという性質があります。食べる前は、とても良い香りですが、食べて胃の中に入ると、あまり良い香りではなくなります。
 味という性質があります。ときには酸っぱかったり、ときには苦かったりします。
 最後に、栄養素という性質があります。このように全部で八つの性質があります。

 このように熱が、新しいルーパ・カラパを作ります。栄養素も新しいルーパ・カラパをどんどん作っていきます。このようにして作られた栄養素のルーパ・カラパが、目や耳や鼻や体の様々なところに行きます。 食事をしたときの栄養素のエネルギーは、体の中で7日間継続します。
 眼の中にある栄養素によって作られたルーパ・カラパに、八つの性質があることを見ることができます。では、復習ですが、眼の中には、何種類のルーパがあるでしょうか?

 まずカルマによって作られるルーパ・カラパが三種類あります。それらがそれぞれ十種類の性質を持っているので、全部で30種類となります。心によってできるルーパ・カラパは、八種類の性質を持っています。温度(時節)によって作られるルーパ・カラパは、八種類の性質を持っています。

 栄養素によって作られるルーパ・カラパは、八種類の性質を持っています。従って、心、温度、栄養素によって作られるルーパ・カラパが、それぞれ8つの性質を持っているので、全部で24種類となります。最初のカルマによって作られるルーパが30種類なので、合計すると全部で54種類のルーパがあります。

 眼には六種類のルーパ・カラパがあり、物質全体で見ると54種類の性質があります。眼に54種類のルーパがあり、耳、鼻、舌にも、それぞれ54種類のルーパがあります。体には、心基(ハートベース)のルーパ・カラパがないので、54種類ではなく44種類になります。
 心基(ハートベース)に、同じく54種類のルーパがあります。これは、眼耳鼻舌身意の六門のうち意にあたるところで、心臓のところにある、心が宿っている物質的なもので、ハダヤ・ルーパ(心基色)といいます。

 そういうふうに見ていくと、体全体というのは、単なるルーパ・カラパによってできていることが分かります。そのルーパ・カラパは、全てがとても早いスピードで、生じたり滅したりを繰り返しています。そのように眼の中のルーパ・カラパが生じたり滅したりしているのをしっかり見ていくと、それらが、無常であって、苦であって、無我であるということが見えてきます。

 同じように、物質は、生じて、ある期間存在して、滅していきます。物質が存在し続けるその瞬間に、八種類の性質のうちの熱によって、次から次へと新しいルーパ・カラパが作られていきます。
 熱によって、核分裂のように、新しいルーパ・カラパが生じて、古いルーパ・カラパが滅していくということが繰り返されます。私たちの体でも、そのように絶えず新しいルーパ・カラパが生じて、古いルーパ・カラパが滅してといくということを繰り返しています。このように観察していくと、無常というものが見えてきます。

 従って、どのように物質が生じて、ある期間継続して、滅していくのかを見ていくことがとても重要です。しかし、集中力がないと見るのは大変難しいことです。それは、生滅するスピードが非常に速いからです。
 このようにして、ヴィパッサナーにより自分の眼を観察していくと、「これは自分の眼である」という見方が消えていき、「これは眼ではなくて、単にルーパ・カラパが生じて滅しているだけのものである」という見方になってきます。眼だけではなく、耳、鼻、舌、体についても同様です。自分の体という感覚ではなくて、単にルーパ・カラパが生滅しているだけだという見方になってきます。

 体全体が生じて滅していくのを見ていくと、これは自分の体であるという感覚がなくなってきます。そうすると、体に対する執着が薄れていきます。これは自分の体ではない、自分自身ではないという見方に変わっていきます。そのようにして、自分に対する執着を次第に手放していくことができます。
 執着というのは、自分に対してだけではなく、他人に対するものもあります。自分自身の内側の体だけでなく、外の他人の体に対しても、生じて滅しているのを見るようにブッダが勧めたのは、そういう理由からです。

 今日家に帰ったら、旦那さん、奥さん、子供に対しても、ルーパ・カラパに過ぎないというふうに瞑想してみてください。そうすると、執着を断ち切って、これはルーパ・カラパにすぎない、生じて滅しているだけだと見えてくると思います。
 そのようにして、ルーパ・カラパの観察をした後では、全ての物質について、これは自分の妻ではない、夫ではない、子供ではない、自分の持ち物ではないというように見てきます。そうすることによって、執着を手放すことが出来ます。もし、ルーパ・カラパの瞑想ができなければ、骸骨を見る白骨観という瞑想をすれば良いでしょう。

 そのように、観察を何度も繰り返すことにより、執着を手放して、涅槃(ニッバーナ)に到達することができます。そのために私たちは瞑想をする必要があります。
 涅槃には何もありません。誰もいないし、家も車もありません。皆さんはそこに行きたいと思いますか?

 何もないことは一番良いのです。そうすれば心配することは何もありません。たくさんの持ち物を持っていると心配事が尽きません。ですから、私たちは、徐々に執着を捨てて行くということをしています。涅槃は何もない所だと聞くと、それは退屈そうだから行きたくないと言う人がいます。そうではなく、何もないところから来る平安は、たいへんに素晴らしいもので、欲望を追いかけているのとはまた違うものなのです。
 ですから、みなさんどうぞミャンマーへ瞑想しに来てください。

質疑応答

【質問】
 ルーパ・カラパが見えたのですが、ルーパ・カラパの本質は何なのでしょうか。丸い卵みたいなものが見え、余計に興味が出てきたのですが、ルーパ・カラパには、地、水、火、風などの8種類または10種類の性質があると伺いましたが、それをならしめているものは何でしょうか。
 
【答え】
 最初に小さな微粒子みたいなものが見えます。最初は点みたいに見えます。それを見つづけていると、顕微鏡で拡大したように見えてきます。しかし、それは集中力で拡大しているだけで、本来ルーパ・カラパは小さい点にすぎません。
 ルーパ・カラパの中を見てみると、4つの要素からできています。最初は、どんなものからできているのかを見ていくわけです。先ほど言ったように、地、水、火、風、色、味、匂い、栄養素の八つの性質がその中にあります。

 そういうふうな性質がルーパ・カラパの中にありますが、ルーパ・カラパの本質は何かというと、生滅というのが本質です。生じたら消えていく、生じたら消えていく、これがルーパ・カラパの本性です。それを1分、2分と掴んでいたいと思っても、それは無理です。生じたら滅していくのがこの世界の本性です。
 ここに1週間リトリートに来て、皆さんずっといてくださいと言っても家に帰ってしまうように、無常であるから、生じたものは滅していく、来たものは帰っていきます。

【質問】
 空を見ていると、小さな金色の点々みたいなものが、すごいスピードで出てきては消えていて、それがルーパ・カラパではないかと思うのですが、それをどうやって拡大して見るのでしょうか?

【答え】
 空を見ていてチカチカと見えるものが、ルーパ・カラパであるかどうかについては何とも言えません。この世の全ての物質は、微細なルーパ・カラパから出来ています。それを目で拡大しようとしても、それはなかなかできません。
 例えば顕微鏡でバクテリアを拡大して見るように、集中力によってしか、ルーパ・カラパを拡大して見ることはできません。集中力が良くなってくると、その集中力によってルーパ・カラパを拡大して見ることができ、物質の本性を見ることができます。

 科学者達は、物質の最終粒子は何であるかを研究し、原子をさらに分割していくという研究をしています。さらに見ていくと、色の粒子とか、匂いの粒子とか・・・今の科学では、色にしても臭いにしてもどんどん分割していこうとしていますが、それだけではなく、最小の粒子の中には、地、水、火、風というものが含まれています。

 ルーパ・カラパが見えて、物質の最小構成粒子を集中力で見ることができるようになれば、日本でも科学の発展に良い影響を与えるのではないでしょうか。
 日本人は、皆さん大変頭がよいので(笑い)、ルーパ・カラパを見ることができるでしょう。それが将来の科学の発展に役に立つでしょう。

 他のアジアの国では日本を誇りに思っています。科学が進んでいるし、いろいろな点で発展しています。西洋へ行くと、なかには西洋、ヨーロッパが世界一でありアジアは今ひとつだと思っている人もいます。アジア人はそれほど賢明ではないというわけです。でも日本は、いろいろな点で欧米と肩を並べるくらい発展していて、アジアは低いと見られることもないので、私たちは日本を誇りに思っています。

 なぜ彼らが西洋をそれほど誇りにしているかというと、カルマについて理解せず、その本性を認識していないからで、この世界の本性は、すべてが無常であるということです。 物質的には進んでいますが、ダンマを理解していないと、精神的な面では貧しいということになります。ですから、私たちは、一つには仕事とか産業に役立つ教育が必要で、もう一つは心に対する教育が必要です。

 心の教育というのは、慈・悲・喜・捨を心の中に育てていくことです。それから、戒を守るということです。言葉においても、行いにおいても、戒律を守るということです。そのように、言葉や体をコントロールし、しっかり守るというのが戒なのです。

 いちばん大事なのは心なのですが、言葉と体と心をしっかり守って、コントロールできれば、善き人になることができます。そのようにして、心、言葉、体に対する行いを学ぶことが、心の教育ということです。
 またバランスが大切で、いろいろなことを学んでも、心の教育がないと、とても危険なことになります。科学が発展してもそれを人々の利益になるよう役立てるという思いがないと、核兵器を作るなどの大変危険な方向に行ってしまいます。心の教育によって、人々の福祉を考えるようになるわけです。

 仏教を教わることができるというのは、とても善いカルマです。ブッダは、何をしたら良いか、何をしたら良くないか、何が善で何が不善であるかということを教えてくれました。
 いま、アメリカや、ドイツ、イギリスなどの欧米の国でも、瞑想を修行する人が増えていますが、その点に関して言えば、アジアの方が進んでいます。私たちが修行して心の力を身につけて示せば、アジアは低く見られることもないでしょう。

 心の中で何が起こっているかを理解することが重要です。欧米では物質的な面で進んでいますが、精神的な面では、心をどのように見るかが分かりません。ですから皆さんが修行して、彼らにダンマ(理法)を教えることができます。心の力を身につけ、飛行機みたいにして飛んで行ってください(笑い)。
今日はありがとうございました。

サードゥ! サードゥ! サードゥ!


 



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