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縁起  ディーパンカラ・サヤレー (08.12.31)

 

 皆さんこんばんは。今日は2008年の大晦日です。年の暮れに、こうして毎日戒を守り瞑想をしているということは、たいへん素晴らしいことです。明日は新年になりますが、多くの人たちはどのように新年を過ごそうとしているでしょうか?
 元日は大体どこの国でも休日で、大抵の人達はパーティーを開いてお酒を飲んだり、バーベキューをして休日を楽しみたいと思っています。知恵を持った特別な人達だけが、このように短い休暇の中でも自分の人生に益となることをしようと瞑想に集まってきます。

 ほとんどの人達が、休日にリラックスしたり、楽しいことをしようと欲望を追いかけている中で、皆さんはこのように瞑想に来て多くの苦しみを味わっています。元日には多くの人達が朝の10時、11時くらいまでゆっくり寝ていますが、瞑想合宿では朝4:30には起きなければならず、ある意味でこれは苦しみです。
 また座っていると色々な痛みが出てきて忍耐をしなければなりません。しかし皆さんは自分にとって良いことをしようと修行に励んでいます。現在作っている原因が未来に結果として現れるのでとても重要なことです。

 皆さんはカルマを信じますか?
今このように瞑想をしていることもカルマを作っているわけで、もし今世で阿羅漢になるまで修行を積むことができるなら、今までのカルマ(原因と結果)は全て断ち切られます。しかし今世において自分の執着を断ち切ることが出来ないと、それがまた未来に結果として現れます。
 現在良い行いをしていると、未来に良い結果として現れます。現在の状態は、過去の原因が結果として現れているのです。今、私たちは人間として良い生活を送っていますが、このように人間として生まれたことも過去の良い行いが原因となって現在があるわけです。
 皆さんは現在の生を受けるために、どんな良い行いやカルマを積んで来たかを覚えていますか?思い出すことができますか?

 ブッダは縁起(因縁)という教えを理解する必要があると述べました。縁起(因縁)とは、過去・現在・未来においてどのような原因があって、どのような結果が生まれたかを見る教えです。過去の原因によって現在の状態があるわけで、現在を知るためには過去を見る必要があります。過去に何をしていたのか、どんな生命だったのか、どこから来たのか、天上界にいたのか人間だったのか、動物だったのかなどを知る必要があります。

 それから次に過去において、どのような無知や無明があったのかを見ることも大切です。現在生まれてきた原因には、将来人間として生まれたい、男性、女性に生まれたいという誤った見方や無明があったのです。
 二つ目は渇愛(タンハー)です。人間として、男性または女性として生まれたいという、そのような渇愛があったため、人間として生まれてきたのです。
 三つ目は執着(ウパダナ)です。非常に強い思いで、掴みたいという強い執着によって、死ぬ間際に掴んだのです。無明、渇愛、執着、という三つの不善な要素があったわけです。

 もう一つ、過去においてどんな良い行い(カルマ)を行ってきたのかを確認する必要があります。どのように戒を守ったか、瞑想をしたか、お布施をしたか、それらを見ることも大切です。自分達が行ってきた行動を確認する必要があるのですが、過去世はとても沢山あります。多くの過去世の中で、ある時は良い行いをし、ある時は悪い行いをして来ており、それらを見る必要があります。

 また、過去におけるサンカーラ(行:何かをしようという思い)とカルマ(業、行為:実際の行い)の二つを見る必要があります。どのような善い行いをしてきたか、布施や戒を守ることによって善い行いをして来たかをみる必要があります。無明、渇愛、執着、サンカーラ(行)、カルマ(業、行い)という五つの要素を過去世において見る必要があるのです。なぜ大事なのかというと、生き物が死ぬ瞬間の意識にこれらが現れるからです。

 われわれの心、意識は止まることなく継続的に一つの生命から次の生命へと廻って行き、肉体だけが生まれては消滅して変化して行きます。例えば過去で人間であった場合、先ほどの五つの要因を調べる必要があります。
 死ぬ際に肉体が滅びて、死の次の瞬間に母親の胎内にその意識が入ったということが分かります。母親の胎内にその意識が入ると、ナーマとルーパ(心と体)が発生します。心と体が発生した数週間後に六つの感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)が生まれます。

六つの感覚器官が出来ることによって、外界との接触が生まれます。六つの感覚器官によって感覚が生まれ、そして感覚が生まれることによって執着が生まれてきます。
 この執着が、さらに未来に生を作り出す原因となります。私たちのこうした現在の行い、すなわち戒を守って瞑想をしている善いカルマは、今世のうちに結果として現れることもあり、また未来において現れる場合もあります。

 そういうわけで、カルマというのはとても大切です。また別の機会に心のプロセス、速行心とカルマとの関係について話したいと思います。今、私たちが理解すべきことは善い行いをすると未来に善い結果として現れるということです。

次に大切なことは、死ぬ瞬間の意識はとても影響力があるということです。もし皆さんが仮に瞑想中に突然亡くなったとしたら、天国に行きますから安心してください。瞑想中に突然死んだとしても心は非常に善い状態で、善いイメージの中で次の世界に行くことができます。今ちょうど年の変わり目ですが、このように今善いカルマを作っていることは、未来に善い結果として現れるのでとても重要なことです。

 自分自身に対する執着、家族や自分の所有するもの(お金、財産)に対する執着を最後の瞬間に持ちながら死ぬことはとても危険です。多くの人たちは亡くなるときに家族と別れたくないという大きな執着を持ちながらも、苦しみの中で結局は死んでいかなければなりません。
 また今世において日夜一生懸命働いて、たくさんのお金を稼いで多くの財産を持ったとしても、死ぬ時にはそれらの財産とも離れなければなりません。自分が作り上げた財産に対する執着を持っていると、来世で餓鬼や動物として生まれたり、あるいは地獄に落ちるという危険性があります。

 ですからブッダは自分自身や家族、財産に対する執着を捨てるようにと説いたのです。人はこの生が終わると次の生に行きますが、人生には生まれて老いて死ぬというサイクルがあります。生きている間には病気になるという苦しみもあります。あまり好きではない人達と一緒にいなければならないことも苦痛なことです。また愛している人達と別れなければならないことも苦しみです。親しい人、愛している人と別れるときは苦しみや悲しみ、嘆き、絶望という感情が起こります。

 ブッダの時代に、バダーチャリという有名な比丘尼がいました。
彼女は出家する前、家族の反対を押し切って自分の家の使用人と貧しいながらも一緒になりました。そして二人の子供が生まれたのですが、ある日夫と子ども達と一緒に実家に帰る途中、大きな嵐によって夫と子供も突然亡くなってしまいました。次の日に実家に到着したところ、両親も兄弟もその嵐によって亡くなっていました。
 一瞬の出来事によって家族を皆亡くしてしまい、非常に心を痛め、気が狂ってしまいました。みなさんも人生において、非常な苦しみを味わうことがあると思いますが、彼女が味わった苦しみも大変に大きいものでした。

 ある時ブッダが法話をしているところへ彼女がたまたまやって来て、説法を聞きました。彼女はその時に悟りの第一段階である預流者になりました。その後、彼女は出家して、僧院に入って修行するようになりました。
 ある時、パーティモッカ(戒律)を唱える儀式が終わった後に、彼女はクティ(居室)に戻りました。部屋の前に水が置いてあり、入る前に手足を洗うようになっています。彼女は1杯すくって、足にかけました。その時、水がサーッと地面に広がって、30㎝くらいの輪になりました。2杯目をすくってまた足にかけ流すと、さらに60㎝くらいのところまで広がって輪になりました。3杯目も同じようにして、90㎝くらいの輪になりました。
 初めに流した水と、次に流した水とその次と、三つの輪になりました。彼女はじっとそれを見つめて思いました。

 私たちの人生もこんなふうに三つに区切ることが出来ます。その当時、仮に人生を60年とすると、20代くらいまでの間の青年期、次が40代くらいまでの間の中年期、それから最後が60代くらいまでの間の老年期と分けられます。この三つの人生区分において、人間というのはいつ死ぬかわからないものです。
 彼女の子供が亡くなってしまったように、若い時に死ぬかも知れない。旦那さんが亡くなってしまったように、中年期に死ぬかも知れない。また自分の両親が亡くなったように、老年期に死ぬかも知れない。そんな風なことを考えたわけです。

 そのように熟慮した後、彼女は自分の部屋に入って瞑想し始めました。ブッダはその時に、彼女が大変に智慧をつけているということを知って、彼女に光を送りました。ブッダはとても神通力を持っている方なので、彼女のクティ(居室)にそういう光を送ったわけです。
 サヤレーがもし、そういう力を持っていたら、皆さんが眠くなった時に、力を送れるのですけれども、ブッダとは違って持っていないので残念です(笑い)

 ブッダは瞑想している尼僧に、こう言いました。
「たとえ100年生きたとしても、楽しみばかりを求め、何も瞑想や修行的なことをしなかった人がいる。とても短い人生であったとしても、1日だけでも瞑想をして、死んでいった人がいる。たとえ短い人生であったとしても1日だけでも瞑想した人のほうが優れている」。
 ブッダはそんなふうにして無常・苦・無我を瞑想するように、あるいはサンカーラ(行)と無常性、この世界の無常性について瞑想するようにと教えました。それを聞いて彼女は瞑想に入って阿羅漢に達しました。

 ですから、人生を三つに分けた区分のうち、10歳から20歳までの間に亡くなる人もいます。そういう人たちがいるというのを皆さんは信じますか?
 あるいは20歳から40歳の中年期で亡くなる人もいます。人生を三つに分けてみます。今は寿命が延びているとしても、その時代に合わせて人生を60だとすると、そこに近づいている人たちもいらっしゃるわけで、そうするともう次の生に入って行くところに近づいているわけです。

 この部屋の中で100歳まで生きられるという人はいらっしゃいますか?
誰も100歳まで生きられるという保障はないわけで、ひょっとしたら明日亡くなってしまうかも知れない。
それでは、次の人生に対しての準備をしているでしょうか?
皆さん、次の人生への準備をしていますか?(笑い)
前の合宿から今回の合宿まで1年経っていますが、この1年でどんなカルマをつくり、善い、悪い、どんな行いをしてきたでしょうか?
皆さん覚えていますか?(笑)
1年の間でも覚えていませんか?

 前回の合宿が終わってから毎日毎日、瞑想するようになった人もいるでしょう。これは大変善いことです。全然、瞑想をせず、欲望を追いかけたり、あるいは怒りを出したりという人もいるかも知れませんが、それは善くないカルマを作ってしまいます。
 毎日瞑想している人は、大変に善いカルマを積んでいるのでこれはもう安心して大丈夫です。明日もし亡くなったとしても未来は大丈夫です。善い行いをしてきた人というのは、天国へのチケットを持っているようなものです。

 皆さん、そういうチケットを持っていますか?(笑い)
皆さんは、この7日間の合宿に入っているので、これは大変に善いチケットを買う、ビジネスクラスのチケットを買っているみたいなものです。ですから、善い行いをすると善いカルマを作って善い未来が出来るということを信じることが大事です。

 また別のお話です。
在家の人でナンディアという大変にお金持ちの人がいました。彼はいつもお布施をしていていましたが、ブッダとサンガに対し、建物のお布施をしました。お布施をする時、彼の心はとても嬉しい気持ちになりました。
 この人はブッダの教団(サンガ)にとても大事なお布施をして、五戒をしっかりと守っていました。彼自身も大変幸せに生活していました。

 彼が作った原因というのは、その積んだ徳のために、亡くなってからではなく、生きているその時にすぐ現れ、天界に素晴らしい建物が出来ました。彼は天界でどんなことが起こっているか知りませんでしたが、ただ人間界ではお布施をしっかりしていました。
 原因と結果という流れがあるのですが、この場合はお布施をした善きことがすぐその場で現れたという例です。

 ある時、ブッダの弟子の一人であるモッガラーナ尊者が天界のデーヴァたちにお話しに行き、天界の状態を眺めてきたことがありました。
 モッガラーナ尊者は天界へ行って、神々たちに「過去でどんな善い行いをして、今こんなふうに天界へ来たのですか。過去にどんなことをしてきたのですか?」と質問をしました。
 その時、天界でモッガラーナ尊者は大変に美しい建物を見たのですが、そこには持ち主がいませんでした。

 ところが建物には持ち主がいないけれども、その奥さんになる神々がいて、持ち主が来るのを待っているという、そういう状況でありました。(笑い)
 モッガラーナ尊者がその建物で、主が来るのを待っている女神に、「これは誰の建物ですか?」と聞いたら「この持ち主はまだ来ていないのですが、今、人間界で生きています。もし、モッガラーナ尊者が人間界へ戻ったら、すぐ来るように伝えてください」と答えました。(笑い)
 モッガラーナ尊者は人間界へ戻るとそのことをブッダに話しました。ナンディアという在家のお金持ちは一生懸命功徳をして名前も知られていました。
どうでしょうか(笑い)?

 天界の暮らしというのは、動物界とか地獄界とかよりはるかに良いわけです。
しかしブッダは天界であっても人間界であっても動物界であっても、そこへ行くようにとは勧めていません。そうではなく、涅槃へ行くようにと仰っています。
 ところが涅槃に行くのは大変難しいことであります。涅槃へ行くのが何故難しいかというと、生きている人たちは、あれこれが欲しいと、いろいろな物を集めようとするのですが、涅槃へ行くということは持っているものを全部捨ててしまいます。切り捨ててしまいます。もう何も無いという状態ですから、そこへ行くというのはなかなか難しいわけです。

 皆さんは涅槃へ行きたいと思いますか?(笑い)
皆さん、家族を手放したり、あるいは自分の持っているものを手放したりということが出来ますか?(笑い)
それが出来ないと涅槃へ行くことは難しいのです。
 仮に涅槃へ行けなくても、あるいは阿羅漢になれなくても、そんなに心配することはありません。少なくとも預流者になってください。少なくとも預流者になればたいへん安全なので、預流者になってもらいたいということです。(笑い)

 預流者になるというのはそんなに難しくありません。ニミッタが見えてくれば、もうそこへの道は簡単です。
今年、メイミョーにあるサヤレーのお寺で、10人の修行者に自分の過去世を見ることが出来ました。
 自分の過去世を見た後で、彼らは自分のしている修行に対し、ブッダのダンマに対してとても自信を持ちました。ブッダの言われたことにしっかり確信を持つことが出来たそうです。
 過去世を見る修行をして、1ヶ月とか2ヶ月くらいすると、ひとつのコースが終了します。
つまり預流者になることが出来るということです。

 ですから、皆さんも是非ミャンマーのサヤレーのお寺へいらしてください。
サイクロンは来ないでしょうから。(笑い)
皆、またサイクロンが来るのではないか、と恐れていますが、もう来ないから大丈夫です。
 台湾では1年に20日リトリートをやっていますが、今まで4年間やってきて全部で80日になりました。その中で過去世を見ることのできる人が出て来ました。

 日本では7日間のリトリートです。7日間ではちょっと短いので、次は10日間をやりたいのですけれども(笑い)
2週間出来れば一番良いのです。2週間出来れば、最初のリトリートでジャーナに達して、次にナーマ・ルーパという心と体を観る瞑想が出来るわけです。次の時は、2週間のリトリートを出来るようにしたいと思います。

 自分の過去世を見ることが出来れば、最初の悟りに至らなくても、それに似たような小預流者になることが出来て、それはもう、同じ智慧を持っているから、地獄だとか餓鬼だとか、そういう悪所に堕ちることはありません。少なくとも、次の世ではそういうところに堕ちる心配はありません。
 人生は非常に短いですから、そんなに時間があるわけではありません。ですから、今、善き行いをすることが、未来に対して善い結果をもたらします。未来に、また人間に生まれ変わるか、天界に生まれ変わるか、誰も分からないわけですから、善き行いをすることが大事なわけです。

 死ぬ時に財産はついて来ないけれども、自分が積んだカルマだけが付いて来ます。
よろしいですか。
ですから一生懸命、瞑想するようにしてください。
今日はどうもありがとうございました。

サードゥ! サードゥ! サードゥ!


 



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