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集中力の開発   セヤレイ ディパンカラ

(アナパナサティからジャーナまで)
       

Ⅰ.慈悲の瞑想をおこなう

アナパナサティ(入出息の気づき)を修行する場合、それに先立ち、少し時間をとって、自分自身への慈悲の瞑想をすることをおすすめします。自分自身への慈悲の瞑想をすると、まず心がしずまり、安らかになります。さらに、注意がからだに向けられ、心がほかのところにさまよいでることなく、からだに集中できるようになります。
次の順番で、慈悲の心をあなた自身に向けて送りましょう。

(1)わたしが危害に遭いませんように
(2)わたしに心の苦しみがありませんように
(3)わたしにからだの苦しみがありませんように
(4)わたしがすこやかで、幸せでありますように

各ステップを心がしずまり、リラックスするまで、くりかえしてください。そして次のステップに進みます。

このようにして、こころが安らかになったところでアナパナサティに移ります。アナパナサティを修行すれば、多くの人が禅定(ジャーナ)を達成することができますが、そのためには、アナパナサティの方法を体系的に知ることが大切です。

アナパナサティにおける気づきの対象は入息と出息ですが、これにはっきりと気づくには、上唇(鼻の下)と鼻の出口の周辺で入息、出息に意識を集中しなければなりません。これらの場所は接触点ともいわれますが、これはアナパナサティの主たる対象ではありません。主たる対象は入出息つまり接触点を通過する空気なのです。

呼吸が通過するときに皮膚に生じる感覚はアナパナサティの対象ではありません。呼吸による空気の流れが皮膚に触れているとき、圧迫感、冷たさ、暖かさ、緊張感といった感覚に注意が向くことがあるかもしれませんが、これらの感覚はアナパナサティの対象ではありません。対象はあくまでも呼吸によって出入する空気なのです。したがって、空気が接触点を摩擦するときに生じる感覚はすべて無視しなければなりません。

心はつねに鼻の部分におき、空気が体に入っていくのを追いかけないようにしてください。もし、心が肺や腹部にまで追いかけたら、緊張感や不快感が生じるでしょう。そうならないようにするためには、心を鼻の部分につなぎ止めておかねばなりません。呼吸の空気が通過する鼻の先の部分または上唇に心をおきつづけるのです。

Ⅱ.集中力の育成

アナパナサティを行う過程で大切なのは気づきです。気づきの力が十分でないと、すぐにいろいろな考えが浮かんできます。それでは瞑想してもなんの益もありません。したがって、一つ一つの入出息に気づきを加えねばなりません。心を呼吸にのみ振り向けるのです。気づきとは一体なんでしょう。気づきとは何かを思い続けることです。なにを思い続けるのですか。いつ、どこにいてもつねに心は入出息になければなりません。

皆さんも経験されているかもしれませんが、集中しようと努力しているのに、心は、猿が木から木へと飛び移るように、すぐに対象から走り去ってしまいます。そうならないようにするには、心の訓練が必要です。訓練によって心をコントロールできるようになります。それでは猿のようにあちこちと飛び回る心を訓練するにはどうすればいいのでしょうか。ひもで心をつなぐのです。ひもによって心をコントロールするのです。そのひもとは何でしょう。それが気づきです。気づきによって、心をつなぎ、一点に固定するのです。

二本のひもを使って心をつなぐことができます。一本のひもでサルのような心をつなぎ、もう一本ひもで心を入出息に集中するのです。この二本のひもはお互いにあまり遠く離さないようにしなければなりません。心を入出息に戻しつづけてください。そのうちに心は入出息にとどまるようになります。気づきによって繰り返し心を戻し続けると、ついには心は息から外にさまよい出ることに疲れ、息に定着します。しばらくの間でも、心が息にとどまれれば喜びを感じるでしょう。

瞑想リトリートでは入出息というただ一つの対象にだけ心を開き、それ以外の対象には心を閉ざしてください。心が入出息に注意を向けないと心の汚れがわきあがってきます。そうなると瞑想はなんの効果もありません。ですから、心を入出息だけに開くということをけっして忘れないでください。心をコントロールするのはたいへん難しいことです。一つのドアにだけ心を開け続けるのはそんなにやさしいことではありません。心は簡単に入出息から出ていってしまいます。心がさまよっているのに気づいたら、すぐにストップをかけ、入出息に戻してください。心を対象に戻し続けてください。このように続けていると、しばらくすると、心から安らかさと幸せが湧いてくるでしょう。

Ⅲ.接触点

接触点とは何でしょうか。それは入出息が通過する場所のことです。鼻周辺の一箇所に集中するのは、心が空気の流れといっしょにからだの内部や外部についていくのを防ぐためです。心が息いっしょに肺や胃に入ったり、体外に出たりすると、風の要素(風界)を感じやすくなります。四界(四大)の一つである風界を感じる瞑想法と入出息に気づくアナパナサティとは同じく空気をもとにしてはいますが互いに異なった瞑想法なのです。四界分別観の場合、体内での空気の動きを感じるため空気とともに体内に入り、風界を観察するのです。

アナパナサティの場合、瞑想の対象は接触点ではなく、上唇または鼻の先端を通過する呼吸なのです。呼吸の振動や冷たさや暖かさといった感覚に注意するならば、それはアナパナサティでなく四界分別観の修行なのです。

アナパナサティの修行法とは接触点における入出息に注意を向け、一つ一つの入出息にはっきりと気づくことです。心を上唇または鼻の先端に集中し入息と出息に完全に注意を振り向けるのです。呼吸が速く通過しているときには、呼吸が短いと知り、呼吸がゆっくりと通過しているときにはそれが長いと気づきます。決して、からだの内外にまで、呼吸についていってはいけません。早い呼吸は心臓に結びつきやすいものです。胸が緊張したり、締め付けられるように感じるかもしれません。このような場合は、リラックスし、呼吸をおそくしなければなりません。心臓やその鼓動には注意を向けないようにしましょう。心をリラックスさせ、呼吸に集中し、はっきりと気づきましょう。

Ⅳ.呼吸を数える(数息)

瞑想中に多くの雑念が浮かんでくるときは、次のように呼吸を数えるとよいでしょう。「入る、出る、一。入る、出る、二。入る、出る、三。・・・」。八まで数えて一にもどり、これを繰返します。呼吸にうまく集中できるようになれば、数えるのはやめ、たんに入出息に集中します。呼吸になれるにしたがい、退屈になるかもしれません。その場合は、長い呼吸と短い呼吸を区別するようにします。ここで長いとか短いというのは呼吸の時間のことをいっています。

Ⅴ.五つの障害(五蓋)を克服する

1.貪欲(sensual desire)

(現象) 欲望の対象には物質的なものと非物質的なものがある。何かを楽しみたい欲望、よい食べ物や音楽に対する欲望、これらは快楽の追及とそれにかかわるものへのへの執着を生み出し、集中を不可能にする。

(対策) 五門(眼、耳、鼻、舌、身)を護る。不浄観、無常観を修行する。強い気づきによって常に心を呼吸に引きもどす。

2.瞋恨(ill‐will)

(現象) 人や物事に対する不快や怒りを感じる。

(対策) カルマ、縁起の法について思いをめぐらし、だれもが自分のカルマを背負っていることを考える。慈心観、捨心観、遍禅(color kasinas)を修行する。強力な気づきによって心を呼吸(または瞑想対象)に引きもどす。

3.掉挙(restless and remorse)

(現象) 心は不安定であり、対象からそれる。そして悲しみと後悔を感じる。

(対策) 心の不安定性に気づき、心を呼吸(または瞑想対象)に引きもどす。

4.昏沈睡眠(sloth and torpor)

(現象) 心が暗く、明るさがない。眠い。心は瞑想対象に注意を向けられない。

(対策) 背中をまっすぐに立てる。耳を下にひっぱる。指を刺激する。深呼吸をする。死随念をする。軽さを瞑想する。強力な気づきで心を呼吸に引きもどす。

5.懐疑(skeptical doubt)

(現象) 自分には十分な能力がないと自信をなくす。ときには、ブッダ、ブッダの教え、師の教えを疑う。

(対策) 疑いを捨てる。ブッダの教えを学び、修行によって実際に経験する。

Ⅵ.微細な呼吸に気づく

呼吸が微細になったときは注意が必要です。多くの人がこの段階で間違った方向に行ってしまいます。次の二つの間違った方向が考えられます。

1.からだが気持ちよくなり、注意がそちらにいってしまって呼吸を忘れてしまい、その結果集中力が落ちてしまう。

2.この段階では、心がしずまったと感じられ、心は瞑想対象に気づき続けることを止め、呼吸にもどろうとしない。そして簡単に有分心に落ち込んでしまう。

有分心の状態では、心は機能せず、瞑想対象もなく、何もありません。なかには、これでジャーナあるいは悟りに達したと考える人もいます。しかし、ジャーナは何もない状態ではありません。ジャーナはニミッタという対象に気づき続けることによって達成されるのです。ですから、この時点では十分に注意する必要があります。呼吸が微細になったとき、10-15分間、呼吸に気づき続けると目の前に最初のレベルのニミッタが現れます。それは、たぶん煙、雲、光のようななんらかの色です。

呼吸が非常に微細になると、人によっては呼吸を感じなくなり、呼吸が再びあらわれるのを待つあいだに雑念が生じることがあります。そのようなときには鼻に注意を向け、柔らかく息を吸い込んでください。そうすることによって、自然の呼吸がもどってきます。ただ、柔らかく、ゆっくりと吸い込み、決して強く吸い込まないようにしてください。強く吸い込むと呼吸がそれまでよりも粗く、早くなってしまい心は落ち着かず、胸が緊張することになります。

Ⅶ.ニミッタ(集中の証し)

ニミッタには次の三つのレベルがあります。

(1)第一のレベル:しばらく呼吸に気づき続けていると、目の前になんらかの色または煙あるいは雲などがあるのを感じます。どんな色かはその人の知覚によって違います。黄色の場合もあるし、白色の場合もいます。しかし、それがどんな色であろうと、それを無視しなければなりません。けっしてそれに注意を向けてはなりません。この現象について、これはなんだろうとか、この光は自分の体から出ているのだろうかそれとも外から来たものだろうかとか、自分は進歩しているのだろうか、といった疑問をもってはいけません。

そんなことを考えると好奇心から目を開けたくなったり、第一レベルのニミッタに注意を向けたくなります。目は閉じたままで、ニミッタに注意を向けたり、集中してはいけません。注意を向けるとニミッタは消えます。リラックスし、それがどんなものであろうと、そのままにして、ひたすら呼吸に気づきつづけるのです。

(2)第二のレベル:呼吸に気づき続け、その結果、集中力が増すとニミッタは白い光に変わります。ときにはそれは輝いていることもあります。しかし、それに関心を持ってはいけません。この段階でニミッタに注意を向けるとニミッタは消えるか、体全体に広がってしまい、集中力は落ちてしまいます。

(3)第三のレベル:呼吸に気づき続けることにより、集中力が強くなると、ニミッタは水晶、ガラスあるいは朝の明星のように透明ではっきりしたものとなります。ニミッタが鼻の先端に近づくか、入出息と一つになってから、5-10分したら、気づきの対象を呼吸からニミッタに変更し、呼吸は手放します。この段階からはひたすらニミッタに集中することにより合一(ジャーナ)のための修行に入ります。

Ⅷ.ジャーナ(集中の達成)

(1)心と透明なニミッタとの合一の修行する場合、微細な呼吸に集中するときと同様、あまり努力しぎてはいけません。リラックスし、透明なニミッタに満足しています。緊張しすぎたり、ニミッタを保持しようと努力しすぎるのはいけません。努力しすぎると透明なニミッタは消えてしまいます。もし透明なニミッタが消えたら、ニミッタが現れるのを待つのでなく、入出息にもどってください。そうすると再びニミッタがあらわれます。

ニミッタに集中しているときニミッタをあまり変えようとしてはいけません。ニミッタが消えない限り、そのまま気づき続けます。透明なニミッタに集中するときは、ちょうど美しい景色や絵のまえで満足し、リラックスしながら見ているのと同じようでなければなりません。あるがままに、やすらかに透明なニミッタをみる。透明なニミッタに気づき続けると、やがて喜びと平安を感じるようになります。

合一の修行の最初に心をゆっくりと透明なニミッタに近づけると心は磁石がくっつくようにニミッタにくっつきます。心が透明なニミッタに入りこんだり、少しだけ入ることもあります。あせったり、努力しすぎたりすると、ニミッタはきえてしまいます。心は少なくとも1時間から2時間、ニミッタと合一します。

(2)心が透明なニミッタにくっついているとき、心を透明なニミッタで止めてしまい、透明なニミッタがどこかにいってしまったのか分からなくなることがあります。これは、心が有分心に落ちこむという誤りを犯しているのです。この誤りに気づくことはきわめて大切です。ジャーナは心の機能が止まったり、何も分からなくなるということではありません。ジャーナにおいても、なお心は透明なニミッタに気づき続けています。このとき心は透明なニミッタという対象が明瞭で透明であることをはっきりと知っています。これが尋(vitakka)という機能なのです。透明なニミッタに気づき続けることが伺(vicara)という機能です。合一のあいだ心には、喜と楽という二つの感情が生じてきます。

(3)合一のあいだ、雑念は起きません。心にはただ喜び(喜)、幸せ(楽)、平安があるだけで、それ以外の感情はありません。合一は1時間、2時間あるいは3時間続けなければなりません。合一にあるときはなにかを考えたり、手や足や体を感じてはいけません。合一のときにあるものは、喜び、幸せ、平安の中で透明なニミッタに気づき続けていることだけです。

Ⅸ.五禅支の識別

ジャーナから出たあと、五禅支を識別する必要があります。最初のステップは心臓の底にある有分心に注意を向け、透明なニミッタのしるしが有分心に現れているかどうかをチェックします。すばやくチェックをしたあと、すぐに心を透明なニミッタにもどしてください。チェックにあまり時間をかけてはいけません。すべての精神活動は心臓の底にある心処色から生じます。

次のステップは五禅支をチェックすることです。それには、先ず五禅支の意味を知らねばなりません。それから有分心に五禅支があるかどうかを確認するために、有分心で五禅支をチェックします。チェックの方法は透明なニミッタと心の間に五禅支を見ることによって行いますが、五禅支を一度に見てもいいし、一つずつみることもできます。五禅支の意味とそれぞれのチェックの方法は次のとおりです。

(1)尋(vitakka)とは、ニミッタがアナパナサティの対象であることを心が知ることです。尋の意味を理解したあと、心処色において尋を感じることによって尋を確認し、ふたたびニミッタに注意をもどします。

(2)伺(vicara)とは、心がニミッタに気づき続けていることです。伺の意味を理解したのち、心処色においてそれを確認し、それを感じたら、ふたたびニミッタに注意をもどします。

(3)喜(piti)は、心がニミッタを好むことを意味する。心処色において喜を確認し、ふたたびニミッタに注意をもどします。

(4)楽(sukkha)は、ニミッタを経験しているあいだ、心が幸せを感じていることを意味します。心処色において、楽の感じを確認し、ふたたびニミッタに注意をもどします。

(5)一境性(ekaggata)とは、心とニミッタが一つに結びつくことを意味する。ニミッタに完全に集中すると、心が静まります。そのあとふたたびニミッタに注意をもどす。

また、喜と楽の違いを知ることも大切です。喜と楽は基本的には同じですが、これらが順番に生じるときは、楽よりも喜がさきに感じられます。例えば、旅人が長い間砂漠を歩いてきて、渇きを感じ疲れているとします。旅人が前方に池があり、そのほとりに木のあるのを見ると、強い喜びを感じます。かれは急いで池に近づき、水を飲み、木の下で休みます。このとき彼は楽を感じます。これが喜と楽の違いです。ジャーナを修行すればはっきりと分かりますが、ジャーナの段階によって、感情は異なったものとなります。第二禅では喜が明瞭であり、第三禅では楽が第二禅のときと比べてより明瞭に感じられます。

Ⅸ.禅の五自在

五禅支を確認したあと、禅の五自在を修行します。五自在は次の通りです。

(1)引転自在:心処色において五禅支を確認するためジャーナから出ることができる。

(2)省察自在:五禅支を省察できる。

(3)入定自在:いつでも、また、たとえば10分間とか好きなだけジャーナに入り、ニミッタと合一できる。

(4)住定自在:たとえば一時間とか、自分で決めた時間だけジャーナに留まることができる。

(5)出定自在:自分が決めた時間にジャーナから出ることができる。

Ⅹ.第二、第三、第四禅の修行

初禅の五自在に習熟したら、第二禅の修行に入ります。初禅から出たのち、諸禅支を考察し、初禅には、それが五蓋に近いことあるいは尋と伺が粗いという欠点のあることを知ります。そして粗い尋と伺を捨てることを決意し、喜、楽、一境性しかなく、もっと平安な第二禅に達しようと願います。

第二禅では喜が強く感じられます。初禅と第二禅の違いを考察したあと、透明なニミッタに合一し続け、第二禅に入ります。首尾よく第二禅を達成すると、第二禅の五自在を修行します。

第二禅の五自在の修行に満足したら、第三禅へと進むことになります。第二禅から出て、まず第二禅の三禅支を省察します。喜が粗いこと、第三禅の楽、一境性とくらべて平安さで劣るという第二禅の欠点を続けて考察します。第三禅を達成するにはふたたび透明なニミッタに集中します。第三禅を達成したあと、第三禅の五自在を修行します。

第三禅の五自在に習熟したら、第四禅に進みます。第三禅から出て、第三禅の禅支を考察し、第三禅の欠点を見ます。第三禅には楽という粗い禅支があり、そのため第四禅に比べて平安さで劣ります。第四禅を達成するために、楽という粗い禅支をすてることを決意し、ふたたび透明なニミッタに集中するのです。
このようにして、第四禅に入りますが、そこには平静と一境性という二つの禅支しかありません。第四禅を達成したあと第四禅の五自在を修行します。


                    翻訳:八木健

 



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