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色による瞑想・人生の絵を描く   ディーパンカーラ・サヤレー  

 今夜は、集中の瞑想とヴィパッサナーについての法話をしたいと思います。瞑想の基礎には戒・定・慧があります。さきほど五戒を説明しましたが、それが戒の基礎になり、その戒の上で瞑想を行います。今日はアーナパーナサティをやりましたが、これは集中の瞑想です。集中の瞑想には環境が重要です。外からの音などが集中を壊してしまうことがあります。ですから集中の瞑想には静かなところが適しています。家でも毎日瞑想するようにしてください。

 アーナパーナサティで簡単に集中力を得られる人もいますし、うまく得られない人もいます。それで、お釈迦様は私たちに40種類の集中力の瞑想を教えてくださいました。人それぞれ前世に従って、趣味も性格も違いますが、お釈迦様だけが人の過去世を見ることができました。

 皆さんは時として、占い師のところへ行くことがあるでしょう。自分の過去世が分かっている人はどうぞ教えてください。占い師が語るあなたの過去世が当たっているか間違っているか、私には分かりません。もし当たっていたなら、あなたはとてもラッキーです。お釈迦様だけが他人の過去世を見ることができました。サーリプッタ長老でさえも他人の過去世を見ることはできませんでした。

サーリプッタ長老の弟子

 お釈迦さまの時代、サーリプッタ長老に一人の弟子がいました。出家した後で、その弟子はサーリプッタ長老にどのような瞑想が自分に向いているか尋ねました。弟子は若かったので、いろいろと執着も強いだろうから、サーリプッタ長老はアスバ瞑想(死体を見る瞑想)がいいだろうと思いました。

 サーリプッタ長老はその弟子に、亡くなった人の身体をイメージして見ながら瞑想するように教えました。弟子は長老から瞑想の対象を教えてもらった後で、静かな場所に行って瞑想を始めました。

 その弟子は3ヶ月間続けて瞑想したのですが、集中力を得ることができませんでした。弟子はサーリプッタ長老のところへ戻り、瞑想がうまくいかないことを報告しました。長老は、妄想のためにうまく行かなかったのだろうと思いました。そこで、「瞑想の対象への気付きを強く持つように。そしてもう一度戻って瞑想しなさい」と言いました。

 弟子は森に戻って3ヶ月間瞑想しましたが、それでも集中力を得ることができませんでした。それを3回繰り返してやってみたのですが、3回ともうまくいきませんでした。

 その報告を受けたサーリプッタ長老は、どうやら瞑想の対象が彼に向いていないのであろうと考えました。そして彼の過去世は自分には分からない、仏陀だけが他人の過去世を見ることができる、ということで、弟子を仏陀のもとへ連れて行きました。

 弟子は仏陀に瞑想がうまくいかないことを説明しました。弟子の笑顔を見て、仏陀は瞑想がうまく行っていないことを知りました。そして、サーリプッタ長老が与えた瞑想の対象が彼に合っていないと思いました。

 仏陀はその弟子の過去世を見通しました。弟子は500回の過去世において、金細工師をやっていたことがありました。彼は美しいデザインを金に施すことが好きでした。そして、いつでもきれいなものを作りたいと思うような人でした。きれいな絵や物を見ると幸せになるのでした。

 サーリプッタ長老はその弟子に死体を見る瞑想を指導したのですが、その瞑想によって彼はとてもいやな気分になり、不幸せを感じていました。瞑想の対象が彼に合っていなかったのです。仏陀はサーリプッタ長老に「部屋に戻って良いから、夜に弟子を私のところへ寄こしなさい」と話しました。

赤い色の瞑想

 弟子は仏陀の指導を受け、その夜のうちに阿羅漢に到達しました。
 仏陀は神通力を使って、とても美しい蓮の花を出現させました。その蓮の花を見て、弟子の心はとても幸せになりました。仏陀は弟子に、「その花を見ながら赤(ロヒタ)、赤(ロヒタ)、赤(ロヒタ)、と唱える瞑想をしなさい」と指導しました。

 弟子は仏陀から花を受け取り、静かなところへ行き、目の前にその花を置いて、眺め始めました。花を見て、「赤、赤、赤」と幸せを感じながら瞑想しました。花を見ていると、瞑想の始めからとても幸せな感覚になりました。その幸福感が彼の集中力を支えました。

 しばらくすると蓮の花は消え、赤い色だけが彼の目の前に残っていました。弟子は赤い色をゆっくりゆっくりとすべての方向に広げて行きました。

 色をすべての方向に広げていくことが難しいか簡単かは、その人の波羅蜜によります。とても良い波羅蜜をもっている人は簡単に広げることができるます。また、簡単に広げることが難しい人もおり、時間をかけてゆっくりゆっくりと広げていくこともあります。

 弟子は目の前に広がった赤い色の一部分に集中しようとしました。そして禅定に達する練習を始めました。禅定とは瞑想の対象の赤い色に心が貼り付いて、「赤、赤、赤・・・」と唱えながら、連続的に一時間でも二時間でも一緒になっている状態を言います。

 禅定では瞑想の対象と心が密着して一つになり、心は幸福感に満たされ、次第に身体の感覚も、痛みもまったく感じなくなります。退屈ということはありません。そして妄想もなくなります。禅定の中では眠くなるということもなくなります。

 時々ニミッタ(イメージに現れる光)に集中しているとき、繰り返し、繰り返し瞑想の対象を思い起こすことを忘れることがあります。このような時、瞑想の対象に貼り付いた心は、しばらくすると、ババンガ(有分心)に陥ることがありますが、これは禅定ではありません。

 禅定では常に瞑想の対象を思い起こすことが必要です。ババンガと禅定は違います。禅定では集中の対象がはっきりしている必要があります。心は瞑想対象に貼り付き、何が瞑想対象であるかを知っていることによって幸福でいられるのです。

 ババンガではとても心地よい状態ですが、瞑想(集中)の対象がありません。ここは重要なことですが、多くの人が禅定とババンガを混同しています。静かな感覚を追い続けているとババンガに陥ります。このように、私たちは瞑想対象に集中し、初禅から第四禅定まで練習します。

無常を観る

 その弟子が第四禅定を練習しているとき、仏陀は神通力で彼の様子を見て、彼が第四禅定に達していることを知りました。仏陀は神通力によって彼の波羅蜜を見て、先生がいなくても続けて練習することによって阿羅漢に達することができるかどうかを調べました。そして先生なしでは阿羅漢に達することはできない、ということを知り、彼を指導することにしました。

 仏陀は輝く光を彼の顔にあてました。仏陀が顔を照らしたのは、慈悲の光であったので、彼の心はとても静かに幸せになりました。照らされると不快になる懐中電灯のような光ではありません。平安な心は集中力を得るためにとても大切です。弟子は、仏陀の慈悲の光によって得た平安な心により、容易に集中力を得ることができました。

 顔を光で照らした後、仏陀は彼のところへ歩いて行き、前に立ちました。仏陀は蓮の花を再び作り出し、活き活きとした花が次第に萎れて枯れていく姿を彼に見せ、それをよく見みるように言いました。

 皆さんも同じように、今瞑想してみてください。とても簡単でしょう。最初はみずみずしくて美しい蓮の花が、だんだん萎れて枯れて行くのをイメージしてみて下さい。
 どうですか、イメージできますか。

 弟子は、今朝あんなに美しくみずみずしかった蓮の花が、今は色が褪せ、枯れて萎れていくのを見て、これが自然の本性なのだということに気がつきました。自分自身はどうかというと、今は若くて活発で幸せですが、そのうち年をとり、病気になり、いつの日か死ななくてはならない、ということを知りました。

 このように、私たちはよく考える必要があります。ダンマ(法)を学びたいと思うとき、その対象は本当にたくさんあります。どれを対象として選んでも、(そのためには)どのように見ていけばよいか知ることができます。

 たとえば花を見るとき、美しい花がテーブルの上で数日すると枯れて行ってしまう、という風にイメージします。智慧を持つ人は、このような対象を見て、いつか自分も死ななくてはならない、ということを知ります。

 智慧のタイプの人は、死の随観(マラナーヌサティ)をするのが良いと思います。この弟子は良い波羅蜜を持っており、おそらく智慧のタイプだったのでしょう。花の色が変わっていくのを見て、すぐに無常に気がつきました。

 私たちもこのように瞑想すると良いでしょう。今は若くて元気であっても、70歳、80歳になるとからだも衰え、病気になります。その後に私たちは死ななくてなりません。これは確実なことで、いつか直面しなくてはなりません。

 自分がいつ死ぬか、誰が分かるでしょうか。80歳まで生きる保証がありますか。どうぞ答えてください。明日死ぬかもしれないし、今晩死ぬ可能性もあるのです。

 死だけでなく、いつ病気になるかも分かりません。あるときガンになったり、心臓発作を起こしたり、ということもあります。いつの日か、間違いなく、死に直面しなくてはなりません。そのようなとき、どのような気持ちが起こるかわかるでしょう。

 明日お医者さんにチェックしてもらって、あなたはガンです、と言われることもあります。その時どう感じるでしょうか。死に直面する準備ができていますか。

 準備ができているということは、「それはどうってことはない、いずれ私は死ななくてはならない、それが自然なことだ」といって、慌てたり心配したりしない、ということです。準備ができていないということは、「病気になってしまった。どうしよう、どうやって治したら良いだろう」というように心配ばかりする、ということです。

 病気になったときに心配したりすると、死ぬ直前にも心配することになり、そのまま次の生に行くことになります。そんなわけで私たちは、(そのようなときに)心配することのないように、未来に備えなければなりません。

 そのためには瞑想をして常によいカルマを作ることが大切です。瞑想をするのが良いことで、大切であるとわかっていても、今は時間がないから、退職してからやりましょう、などと思っていると、瞑想する前に死んでしまうかも知れません。これはとても危険です。

 どうでしょうか、それが事実ではないでしょうか。私たちは、いつでも死ぬ可能性があるのです。
弟子は花が萎れて枯れていくのを見て、自分のことを思い起こし、「無常、無常、無常」と瞑想しました。

執着が苦の原因

 仏陀は弟子が瞑想を始めて、無常というヴィパッサナーの智慧を得たことを知り、話しました。「息子よ、我々は長い輪廻の中で苦を味わってきたのだが、それは執着のために生じるのである」
 執着が未来の生を作るのです。ですからこの生で執着を切るようにしてください。

 彼の波羅蜜は十分熟していたので、仏陀の言われることを聞いて、すぐに理解し、すぐに執着を切ることができました。自分自身への執着、他人への執着、内側(自分)と外側の世界、ナーマ(心)とルーパ(体)への執着、そして過去世への執着もあります。現在の生、未来の生への執着、縁起への執着があります。

 ですから人生を通してヴィパッサナーを実践し、過去と現在と未来におけるナーマ・ルーパ、つまり心と体、物質がどのようにつながっているのかをしっかり見る必要があります。ナーマ・ルーパ(心と体)が生じて滅していくのを見て、まさに無常であり、苦であり、無我であるということを知ります。

 さらに内側と外側のナーマとルーパ(精神性と物質性)、近くの物と遠くの物のナーマ・ルーパについても見ていきます。さまざまな方向の対象についてのナーマ・ルーパを見ていきますが、人間界よりも低い世界、つまり地獄や餓鬼の世界、反対に天人の世界など至高の存在のナーマルーパも見ます。荒っぽい性質と柔らかい性質のナーマ・ルーパについても見ます。

 ヴィッパサナー瞑想には11種類の対象があります。過去と現在と未来のナーマ・ルーパ、内側と外側のナーマ・ルーパ、近くと遠くのナーマ・ルーパ、荒っぽさと柔らかさのナーマ・ルーパ、至高の存在と下位の存在のナーマ・ルーパなど、全部で11種類のナーマ・ルーパを見ていきます。

執着を切るヴィパッサナー瞑想

 お釈迦様が最初に説いた説法はダンマ・パヴァッタナ・スッタ(初転法輪経)ですが、その次のアナッター・ラッカナ・スッタ(無我相経:無我についてのお経)の中で、ヴィッパサナー瞑想には11の対象があると述べられました。

 お釈迦様は、執着を断ち切るためにヴィパッサナー瞑想の必要性を説きました。そして弟子の一人は瞑想を始めたその夜のうちに阿羅漢になりました。非常に早く阿羅漢になったわけです。ですから皆さんも毎日瞑想するようにしてください。皆さんが良い波羅蜜を持っていることを願っています。

 良い波羅蜜を持っている人はすぐに阿羅漢になり、簡単に禅定(ジャーナ)に入ることができるでしょう。しかし阿羅漢になれるかどうかに関係なく、人間はいつ死ぬか、またいつ病気になるか分からないわけですから、修行を続けてください。

 人によってそれぞれ好きな色、嫌いな色があると思います。赤が好きな人もいれば、白を見て幸せを感じる人もいます。自分で好きな色選び、それを対象にして瞑想すると良いでしょう。お釈迦様は白、赤、黄色、茶色の4つの色の対象を説かれました。

青色が良いと言われる方もいるかもしれませんが、お釈迦様の教えには青色は含まれていません。カシナという円盤の色を見る瞑想のときに、「私は緑色が好きなので、緑で瞑想をしてもいいですか?」と聞きに来る生徒がたまにいるのですが緑色も入っていませんので、お釈迦様の教えに沿うようにしてください。

白い色の瞑想

 白い円盤は非常に分かりやすい対象です。骸骨の標本が学校にあったと思いますが、その白い骨をイメージしても良いでしょう。骸骨を目の前におき、「骸骨、骸骨」と見ていきます。最初はその骸骨を見て嫌気を催すかもしれませんが、その湧いて来る感情を見ていきます。しばらく見続けるとだんだん心が落ち着いてきます。すると自分の頭も結局頭蓋骨に過ぎない、自分自身も骨であるということに気が付くのです。

 みなさんも瞑想してみて、自分の頭もただの頭蓋骨に過ぎないということを想像してみてください。見えてきますか?もし全体がはっきり見えなくても気にする必要はありません。 体もしくは顔に焦点を当ててはっきり見える場所に集中して行きます。自分の見ている対象について、「骸骨・骸骨・・」と見て行くとだんだん心が落ち着き、幸せな気持ちになってきて集中が深まっていきます。

 このように見ている対象に集中できると、割と簡単に初禅に入っていくことができます。初禅に達したあと、さらに骸骨を「白い骸骨・白い骸骨」と見ていくと白い色が広がって行くようになります。白い色が広がってきたら、さらにその色を全方向に広げて行きます。

 白い色が全体に広がると心は非常に平安になり、幸福感に満たされるようになります。心が落ち着いてきたら、目の前の対象に集中し続けて行くとさらに禅定を得ることができます。

 アーナパーナサティは難しくて上手くいかないという人は、このように色を使った瞑想をしてみると良いかもしれません。例えば黄色が好きな人は、黄色の花や時計などを使い色に集中して、その色を広げていく方法があります。あるいは4色あるカシナという円盤を対象に瞑想してみてもいいでしょう。

 瞑想中に例えば足が痛くなるのを恐れていると、瞑想は苦しくなりやる気がなくなってしまいます。しかし20分間一つの対象に心が集中することができれば幸福感が出てきて、体の痛みをまったく感じなくなります。カシナ瞑想の方法は10ありますが、最初の日に1時間程度まず白のカシナをやってみて心が落ち着くようであれば翌日も続けて良いですし、白色でどうも集中できないという人は次の日は黄色に、と色を変えるなど色々と試してみてください。

 しかし、アーナパーナサティは対象が呼吸ですから非常に易しい瞑想です。心というのは手強いので、なかなか集中することができません。心はとても複雑に出来ているのです。お釈迦様は、「怒りとは不善の心だから、怒らないようにしたほうが良い」と説かれています。しかし頭で理解しながらも、実際には悪い不善な心が出てきてしまいます。

○カルマは人生に付いて来る

 私たちは子供の頃から貪・瞋・痴(欲・怒り・無知)は悪いカルマにつながると分かっています。しかしこれらの感情を切り捨てることができますか?できないですね。なぜできないかというと、執着というのは今の人生だけにあるわけではなく、ずっと前の過去世から同じ執着や貪・瞋・痴をすっと積み重ねてきているからです。

 カルマというのは前の人生から次の人生へと一緒に付いて来ているのです。趣味や性格というものも一緒について来ています。ですから私たちはヴィッパサナー瞑想をとても深く実践する必要があるのです。お釈迦様が説かれた沢山の役立つ法話を学んでいく必要があります。時間があれば、本で学んでみてください。学ぶことによって修行に対する信頼感が生まれ、それが瞑想を実践する上での支えになるでしょう。

 毎日どれだけよいダンマ(法)を行ったか、また他の人たちに対して良い行いをしたかチェックする必要があります。明日も色々な予定があると思いますが、確認してみてください。

 朝起きてまず一番に何をしますか。台所に行き、朝食を準備しますか。それとも瞑想部屋に行き、瞑想をしますか?明日の朝確認してみてください。朝食の後はどこへ行きますか?仕事へ行きますか。明日からまた仕事が始まりますね。お正月休みはもう終わりです。

 休暇には良いカルマを積みたいという目的のある智慧を持った人でしょうか?それとも智慧を持たず、パーティーや飲み会に行き、ダンスを踊ったりお酒を飲んだりするでしょうか?パーティーや飲み会では良いカルマは積めません。そう思いませんか?もしそう思われるならば、これからはそのような場所には行かないようにしてください。

 仕事に行き、夕方に帰宅し、夕食を食べ、テレビを見て、寝てしまう。このように過ごしていませんか。これが普通の生活で、ほとんどの人々がこのような毎日を送っています。1日は24時間しかありません。毎日このように時間を過ごしてしまうと、1時間の瞑想時間を作るのは非常に難しくなります。そうではありませんか?

 みなさんはカルマを信じますか?自分が良い行いをしているのか悪い行いをしているのか、毎日確認をする必要があります。人は亡くなるとき、良いことにしろ悪いことにしろ、自分の行ってきたことがイメージとして浮かんできます。瞑想を実践し戒を守り良いカルマを積んだ人々は、亡くなる瞬間にとても美しいイメージが浮かびます。

人生の絵を描く

 私たちは現在キャンパスに絵を描いています。そして亡くなるときにその絵が完成されるのです。ですから注意深く、美しい絵を描くように心がけてください。一たびそのことを忘れてしまうと、間違った絵を描いてしまいます。間違いがあると、完全な絵は出来上がりません。毎日不善な悪い行いを続け、灰色のイメージを積み重ねていくと、最後には真っ黒な汚い絵が出来上がってしまいます。

 亡くなる瞬間にそのような映像やイメージが現れるということを信じることができますか?これは実際に必ず起こります。誰でも亡くなるときには必ずこの絵が現れてくるのです。それが良い絵か、悪い絵になるかです。ですから、準備をしないといけません。そのことを理解できずに慎重に描き続けていないと、最後の瞬間に黒い絵を塗り直そうと思っても既に遅すぎるのです。

 美しい絵を書き続けるために、毎日注意深く美しい心で良いカルマを作り続けてください。今年良い絵を描くことができたら、次の年と続けてください。1年ごとに絶えず変化していきます。年ごとに私たちは進歩することができます。今年悪かったと思うことがあれば、翌年には良く変えて行こうとすることができます。

 新年を迎えましたが、新しい年は自分の中を確認する時です。みなさん今年は毎日瞑想してください。10分でいいですから、家で瞑想を続けてください。約束できますか。10分間はとても短いものです。毎日10分間瞑想してください。このように続けて行くことがとても大切なのです。

 家の部屋で座ってすることだけが瞑想ではありません。例えばバスや電車の中でも対象を選び瞑想することができます。もし電車やバスの中で周りにたくさんの人がいてアーナパーナ・サティに集中できない場合は、「前の人たちはただの骸骨だ、骸骨だ」と想像してみてください。骸骨に過ぎないとイメージしてみるのです。とても簡単だと思います。ただの骸骨だ、と見ていくことも瞑想になるのです。瞑想はとても簡単なものです。
 分かりますか?ミャンマーまで2、3ヶ月瞑想をしに行く必要はありません。皆さん死ぬのは怖いでしょう。瞑想はどこでもできるのです。ただ一つのダンマを対象に瞑想をすることが大切なのです。

 骸骨が好きでない人は、慈悲の瞑想をしてみると良いでしょう。自分の前にいる人に対して、その人が「災いから自由でありますように」と慈悲の瞑想をしてください。例えば一緒に仕事をする人に対して、心を込めて慈悲、つまり慈しみの思いと苦しみに対する共感を送るようにします。誰かに対し慈悲の思いを送るのは難しいでしょうか。簡単なことでしょうか。簡単にできるようにしてください。

 人を見て怒りが出て来ると不善な心を作ることになります。人間社会で生活する上で、お互いを理解し、お互いを許す、慈悲の心はとても大切です。慈悲の心で毎日を暮らして行くことができれば、とても平安な人生を送ることができます。
今日は皆さん参加してくださり、ありがとうございました。

サードゥ! サードゥ! サードゥ!
 





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