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南伝仏教資料翻訳

ここではPaññādhika Sayalay (パンニャーディカ・サヤレー)によって翻訳された仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を公開しています。「サヤレー」とはミャンマー語で女性出家者のことです。 (現在連載中の翻訳は、 ブログ 南伝仏教のDhamma book をご覧ください)  
                
著者
法話
内容
パオ・セヤドー 智慧の光 パオ・セヤドー法話:アナパナ瞑想から道果に至るまでが書かれています。
如実知見 パオ・セヤドー法話:問答を交えて修行の階梯が述べられています。
親知実見 パオ・セヤドー法話:「如実知見」の改訂版です。
パオ・セヤドー問答集 パオ・セヤドーが様々な質問に答えています。
菩提資糧 悟りを開くにはどんな波羅蜜、徳、修行が必要なのか、というお話です。
涅槃証悟の唯一の道 四念処の修法、および入出息念によってジャーナを育成し、その定力をヴィパッサナーの基礎とし、16観智をシステムに従って育成し、一切の煩悩を断じ尽くす実修の方法を解説したもの。
顕正法蔵 私は、《転法輪経》及び、その他の経典に基づいて、四聖諦及び、それらを証悟せしめるに至る道について、詳細に解説する。
ブッダ・ダーサ比丘 無我 「無我」は仏教の本質であり、仏法の心臓であるがごとくに重要であり、どのような時代であっても、どのような地域・場所にあっても、・・・これまで例外があったためしは、ない
マレーシア仏教青年総会 「偽比丘」の見分け方 「偽比丘」の出現は、信徒をして、袈裟という僧服を着た人に出会った時、心の内に煩悩と疑惑が生じ、元々あった敬いの気持ちを萎えさせてしまう。
達摩悟陀長老 覚知、念と定 私は正念と正定について詳細に検討し、その後で、止(samatha)と観(vipassana)、及び経典を理解する重要性について、解説する。
アチャン・マハー・ブーワ 阿羅漢向・阿羅漢果 純粋で清浄な覚知は、何物にも汚染しておらず、無上の覚知は、円満と楽しさを、齎すものである。真正なる殊勝な<知る>は、阿羅漢の徹底した清浄なる境地と相応する。
メーチ・ケーウの物語 メーチ・ケーウは、現代人が知り得る、何人かの阿羅漢尼の中の一人であり、彼女は…男女を問わず、仏教の最も究極なる果位を、証悟することが出来る事を、証明した。
本雅難陀尊者(Ven.U Puññānanda) 安般念入門 止禅には40個の業処があるが、しかし、我々は主に、安般念(入出息念)でもって、禅修の修行を開始したいと思う。
アメリカ法話第一集 禅修行者が、この今生の一世で、煩悩から解脱できる様にと、仏陀は三つの方法を教えた。すなわち、持戒、止の修習と、観の修習である。
禅修指南 禅の修行者たちが実修の時に、閲覧に便利である様、また禅修の参考に供するため、修法の順序の必要に従って、集し直し、主要な教材及び参考書として、これを提供する。
アチャン・ネン 身念処 身念処は、現代人の性質と行動に合っている。粗いかまたは微細な動作を観照するのは色身に隠れている苦を、見つけやすい。
シッダッタ学院 掌中の葉 「掌中の葉」の<法>とは、四聖諦の事である。ただ四聖諦のみが、正しく厭離、離貪、滅尽、寂静、勝智、正覚、涅槃へと導くことのできる<法>なのである。
南伝仏教キホンのキ 本書は、南伝上座部仏教の伝統的観点から編集した仏教の入門書である。
スシ-ラ・サヤレー 24縁発趣論 仏陀の一切知智は、《発趣論》を省察した時に初めて、頂点に達する事ができた。《発趣論》全体はすべて、縁起法について、述べているのだと言える。
「実用アビダンマ」 《アビダンマ論》とはすなわち(生存の本質とは)ただただ、無常であり、無常の圧迫を受ける苦であり、主宰する我等ないのだという、因縁和合生滅法を開示したものなのである。
マハー・ガンダーヨン長老 基礎発趣論 《基礎発趣論》の「24縁」の内の、最も重要と思われる、17講の内の、第7,8,9講、すなわち、「業縁と果報縁」の部分を、紹介したいと考える。
慧律法師 四煩悩を断つ いまはまずは<仏に学び解脱を求める>などという事は横において、先に実践しなければならない任務、それは修養である、と言いたいのである。
レディ・セヤドー Vipassanāハンドブック 一つひとつの生命は、出生の時、すでに死へと向かっている事、それは定めである。死後、彼は必ず輪廻に堕ちて、再度、生まれ変わる。
37道品ハンドブック 37道品の所以は、それらが「聖道智」の構成要素であり、「聖道智」は、足処(最も近い因)であり、資糧であり、根機であるからである。
覓寂比丘 テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック 在家信徒は、出家の戒律を学び、僧衆を如法に護持して持戒する事によって福を修することが出来る事を知り、また出家して梵行を為したいと思う時、比較的容易に実践ができるという期待もあります。



 

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