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慈しみの心が持つ力             アーチャン・リー


 慈しみの心がもたらす果報とは
1、徳を育てる人を浄化する
2、心に正しい集中にもたらす
ですから伝統的な40種類の瞑想の一つに数えられています。

 私たちの師である仏陀は、悟りを得る前から完全な涅槃に入るまで、行いと、言葉と、思いにおける慈しみの心をいつも実践しました。私たち人間が現在まで三宝の徳によって平和に生きてきたという事実は、仏陀の大いなる慈しみと悲心(カルナー)のおかげです。それゆえに私たちも仏陀に見習ってすべての生きとし生けるものに対する慈しみの心を育むべきです。

 慈しみの心は無数の方法で平和と安全を世界にもたらすことができます。このことを例証する仏陀時代の短いお話があります。

 ある時、戦いを終えた国王が兵隊とともに帰途についていました。途中で、休んだり、水を見つけて飲んだり、水浴びするために、涼しい静かな森に少し滞在しました。その森で、たまたま慈しみの心を育て集中を実践している五百人の僧侶たちを見つけました。音さえ立てることのない僧侶たちの様子に国王は驚きました。そして、自らにつぶやきました、「2、3人の間であっても、あるいは一つの家族の中であっても争いや騒動は避けられない。しかし、この瞑想者たちは全くいかなる騒ぎもなしに、何百人もの人たちが同居している。我が国がこのように平和であったら、争いや戦争は必要なくなるだろう」。

 このことに感銘を受けて、国王は指導僧のところへ行って深々とお辞儀をし、そして瞑想修業を教えてもらいたいと頼みました。指導僧の指示を聞いた後に、国王は兵隊を都へ帰らせ、慈しみの意志の瞑想を修行し、禅定(ジャーナ)を十分に習得するまで、12年間その森に滞在しました。

 その後、ようやく国王は都に戻りました。帰るやいなや、彼は王国全体と隣接する王国に対し、四方八方に慈しみの思いを広める実践をしました。国の人々は、楽しく、喜び、国王への敬意にあふれ、周りに集まって来ました。人々と語り合って、彼らの困難と喜びを知り国王は、慈しみの心、悲心、互いへの評価(喜)、平静(捨)を身につけることを教えました。

 国王の言葉を人々は熱心に聞き、彼を信じ敬意をもって耳をかたむけ、そして教えに従いました。その日から、慈悲はすべての家と村に広がり、王国全体に友情、連帯感、協力という感覚が広がりました。隣の王国との戦争は、それ以降なくなりました。そして人々は幸福で平和に住んでいました。

 このお話は、一人の心にある慈しみの力が何を達成できるかについて示しています。それは国全体の人々に安全と幸福をもたらします。これは、仏陀が慈しみの心について瞑想することによって、内面的な善を成長させることを教える理由です。しかし、もし現実に結果を得ることを望むなら、それをするときに本当に真剣でなければなりません。

 たとえそれが短時間 ―― 象が耳をひらりとさせる動きや、ヘビの舌のちらちらした動き ―― だけの間であるとしても、それは象やヘビが、まばたきする間に人や動物を殺してしまうように驚くべき力を持っています。

 しかし、行おうとしていることに本当に真剣でないなら、真理の力は心に現れず、それを使って結果を出すこともできないでしょう。 それは犬や猫の耳のようなもので、一日中ぴくぴく動かしていても、誰も恐れることがありません。

 しかし、象のようにただ一度耳をパタリと動かせば、人々はとにかく早く走って逃げようとし、足を取られ、ひっくり返ります。あるいはコブラのように、一度その舌をちろちろ動かせば、人々は失神して倒れてしまいます。心が本当に真剣であるときの力はこれと同じような効力を持っています。

 この世界における王の玉座は、九つの幸運な珠玉で飾られ、目がくらむほどで、この上なく貴重ではありますが、仏陀という宝、ダンマという宝、サンガという宝で飾られた、瞑想者の玉座にはかないません。

 もし悪を心の中に流れこませたら、慈しみの心が中に入って住み付く機会を持たないでしょう。悪が力を得て、コントロールするようになるでしょう。一方慈しみは外へ出て行って、壁のところで震えていなければならないでしょう。

*訳註:慈しみの心;原文は「good will」、直訳すると「思いやりの意志」




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